11月15日から公開上映が始まっているのは知っていたが、あれこれ多忙な日々が過ぎ、数日前ようやく思い立ち近所のユナイテッド・シネマでみる気になってググってみたらなんと翌日の12/12が最終上映になっているではないか! あわてて予約して行ってきたのだが、なんと上映は21時25分から0時25分までの一日一回のみ。要するに、約1か月間の、おそらく深夜に一回のみの上映だったわけだ。ちなみに12/11の上映を見た観客は私以外は2名しかいなかった。https://gladiator2.jp/
そのうえ受付でパンフないのかと聴いたらあっさり「ありません」といわれてしまった。パートIの時とは大違いだ。
そのパートIの上演は2000年だったから、パートIIができるまで、実に24年が経過していた。連続して登場した数少ない俳優のうちの一人に、ルキッラ役のコニー・ニールセンがいたが、実年齢で35歳から60歳寸前になっていたわけなのである。さすがに往年のオーラは失せてしまっていたが。
さて今回の内容だが、ローマ軍に敗れて捕虜になったヌミディア兵の中にいたのが、実はルキッラの息子ルキウスで、叔父の皇帝コンモドゥスの死後、命の危険を案じた母に言い含められて姿を消して(ここらあたりの設定はフィクションとはいえ極めて苦しい)、流浪の末にヌミディア反乱軍兵士になっていたらしい。彼が今回の主役となるわけだ。
冒頭の回顧場面で、前回主役のラッセル・クローのマクシムスがコロッセオでの死亡直前にルキッラと謎の問答をしていた箇所が出てくる。「ルキウスは?」「無事です」。
私は前作を何度も見たあと周辺情報を求めてかなりググっていたのだが、その中で「後日談」ならぬ「前日談」を英語から翻訳しているウェブを見つけて、熟読したことがある(ウィキペディア情報によると「映画本編の序章部分」の映画化の構想もあった由なので、そのシナリオだったのかもしれない)。今でも私の古いパソコンのハードディスクか、保存用メディアの中にそれは眠っているはずだが、そこではマクシムスが皇帝の娘ルキッラと通じていた過去があり、そこで得られた子供がルキッラが嫁いだルキウス・ウェルスの遺児として育てられていたルキウスだった、というかなり込み入った伏線が張られていた。それを知って映画を見直すと思わせぶりなパートIの諸場面の謎もすべて解けてくる。それが今回冒頭の回顧場面での問答の真意、種明かしされているわけだ。
史実では、ルキッラは皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの次女として149年に産まれ、14歳でルキウス・ウェルスと結婚し,3年後に一女をもうけたが、ルキウス・ウェルスの死後二度目の結婚を20歳の頃Pompeianusとし、翌年あたりに一人の息子を得ていた。だが弟のコンモンドゥス皇帝によって、彼女は181ないし182年にカプリ島に追放されそこで暗殺されている。享年32, 3歳の生涯だった。
パートIIの該時代の皇帝はカラカッラとゲタで、映画ではたしか双子となっているが、史実では1,2歳違いの兄弟で、211年はじめの父帝セプティミウス・セウェルスの死後、年末にゲタは23歳で兄によって暗殺死させられている。かねて兄弟の仲は悪かった。なのに映画では二人とも共同統治者として登場、しかも不気味な白塗りの顔で露骨に同性愛者風に描かれていて、違和感満載である。
そこに狂言回しに、北アフリカ人で奴隷商人ないし剣闘士育成業者マクリヌス役でデンゼル・ワシントンが暗躍する(私は、同名皇帝を想起させるこの命名にはいささかひっかかってしまう:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/24/112200634/?n_cid=nbpnng_mled_html&xadid=10005)。前作と同様一貫して不甲斐ない立ち回りを演じさせられているのが元老院議員たちで、またもや安直な反乱計画が露見して、ルキッラも逮捕される。それを救うのが剣闘士たちの反乱と、オスティアから駆けつけるローマ軍団だ。彼らの合い言葉は「力と名誉を」Power and Honor で、だがしかし彼らが目指すのは暴力的な軍事力を背景にした古き良き共和政の復活、なのである。
これを見ていて、私には監督リドリー・スコットの意図が透けてみえたように思えた。これではまるでトランプの主張ではないか。たとえ監督にその意図がなかったにしても、視聴者をそちらへの共感に誘導していないと言えないだろうか。それはアメリカの現実ではあるが、それでいいのか。いや未来展望が開けるのだろうか。私にはそう思えてならない。
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