ローマ時代のテルメのボイラーのこと

 あれからもう14年以上になるのか。この項目を書くためにググって確認した。横浜美術館での「ポンペイ展」、2010年前半の三か月開催だった。私はこの展示会で、そこに当時のボイラーが展示されていたので正直ビックリした。実見は初めての体験だったからでもある。実は、カタログも購入したはずだが、我が家でのその発掘はちょっと手間である(この展覧会のミュージアム・グッズも私好み(^^)が多くて大収穫だった)。それ以前に、以下のドイツ語書籍に掲載されていた図版は見ていたが(Fritz Kretsschmer, Bilddokumente römischer Technik, Dusseldorf, 1958, S.31, Bild 57)、思いがけずその実物とで出会うことができたのだ。本品はポンペイ近郊のBoscorealeのVilla Della Pisanella出土で(https://www.pompeiiinpictures.com/pompeiiinpictures/VF/Villa_013%20Boscoreale%20Villa%20della%20Pisanella%20p1.htm)、遺跡は埋め戻され、出土品は大々的に売りに出されてルーヴルなどに分散してしまったが、地元に残ったものは、Villa ReginaのAntiqualium Boscolealeに展示されている(そこには3度行ったことがある)。ボイラーの現所在は国立ナポリ博物館らしいが、コロナ以前に毎年のように訪れていた私は少なくとも15年以上博物館展示で一度も見た記憶がないので、収蔵庫にずっと保存されていたのだろう。こういうものが海外の展覧会に出品されるについては、かねてポンペイ調査・発掘で実績を積んでいた京都の古代学協会の見識と尽力があったであろうことは容易に推測できた。

件のボイラーはL(左側の一番下のモザイク床の右隣)に設置されていた。

 ここではKretsschmerの出典元である以下手元文献から転写しておこう。August Mau(translated by Kelsey F. W.), Pompeii : Its Life and Art, London, 1907, p.362:

で、いまさらなぜかというと、2つ理由がある。第一に見るともなく「Quora」を見ていたらその写真が出て、ちょっと詳しい解説がされていたこと、そしてかつてオスティア遺跡を彷徨していたときに偶然これと同じボイラー設置跡と遭遇したことを思いだしたからだ。まず写真のほうは以下である。

なんといってもパイプ、バブルといった付属品一式がすべて揃ったものとしては世界で唯一の残存する逸品なのだ。1894年の再調査時に発見されたらしい。なお、バルブは青銅製で、鉛パイプへの接続はおそらく松ヤニを使ったはんだ付けで行われた。

 オスティア遺跡でのボイラー旧設置場所は、Regio I – Insula XVII – Terme del Mitra (I,XVII,2)である。私は、Nielsen I.- Schioler T. 1980, “The Water System in the Baths of Mithras in Ostia”, AnalRom 9, 149-159に導かれて、2017年夏の現地調査で、裏の西側からもぐり込みその場所を確認することができた。ここの半地下作業場はカギ関係なしに(すなわち、監視人custodeの手を煩わさないで)侵入できる、文字通り穴場だった。この遺跡に関しては、2021/3/8の本ブログで立ちション・トイレがらみでそれなりに詳しく報告している。

左図が北からの透視断面図で中央の黒い窪み部分がボイラー設置場所;その左に立ちション・トイレ区画の構造が示されている。右図はその窪み付近の「焚き口」の図示。私は右側に描かれているアーチ型焚き口(その向こう側がcaldarium)をくぐってこの空間に侵入を果たすことができた。

この付近は、上部には貯水槽があったりして、コンパクトなのにたいへん複雑な構造で、私にとっても希有な体験となり、小一時間ゆっくり滞在した思い入れ深い場所である。いうまでもなく、鉛製のボイラーとパイプはこの浴場が放棄された時に持ち去られ溶解・再利用されたのだろう、現在は影も形もない。

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