新札の顔の(今となっては)不都合な私生活

 20年振りの新紙幣の発行が始まったようだが、年金生活者の私の手元には流通を経ての入手となるので、さていつごろお目にかかることできるだろうか。

 というわけで、それ関係の情報に偶然目も触れるわけである。その中で、今回は男性二名と女性一名で、いずれも華々しい業績を達成した人たちであるが、渋沢と北里と、津田梅子には生き様として決定的な違いがあることに気づかされる。

 渋沢の後妻・兼子が晩年よくこんなことを言っていたという。「大人(たいじん 栄一のこと)も『論語』とは上手いものを見つけなさったよ。あれが『聖書』だったら、てんで守れっこないものね」。キリスト教は姦淫を禁じているが、論語には性に関する戒めはほとんど書かれていないからだ(https://gendai.media/articles/-/66091?page=4)。渋沢は妻妾同居のみならず複数を別宅でも囲っていたことで有名だった(https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h2686)。

 北里は、例の黒岩涙香「弊風一斑・畜妾の実例」『萬朝報』の、第38番目に以下のように記されている。「勲三等医学博士北里柴三郎が新橋の近江屋とん子こと小川かつ(二十二)を大金にて身請けしたるは慥(たし)か一昨年春頃のことなるが、はじめは飯倉四ッ辻に住まわせたれども、その後麻布二ノ橋東町二番地警視丹羽五郎の旧宅を三千円余にて購い妾宅とし、かつとその叔母きく、としの両人[両親のことか]及び下女石崎はつを住まわせ近頃は川添の庭園を手入れ中なり。」

 3人とも欧米留学の体験があって、そこでの知見がその一生に多くの影響を与えたことは言うまでもないが、今回の男性と女性で決定的に異なっていたのは、津田がキリスト教の聖公会信者であったという一点であろう。その意味で、渋沢の後妻・兼子が言っていたのは正鵠を射ているわけである。

 もちろん、古今東西のキリスト教徒男女が常に清廉潔白であったなどと到底言えない事実がゴロゴロ存在しているのも本当だが、まあ生理として男女の違いも無視しがたいような気がする。

 ただウィキペディア段階で私の知る限り、紙幣の顔となった男性が最近どうも裏情報的に揶揄される傾向が目立つのはどうしたことか。はるかかなたの聖徳太子は論外にしても、かつてその類いで問題になるのは岩倉具視、伊藤博文と野口英世あたりで、ごく最近の福澤諭吉や、新渡戸稲造、夏目漱石はどうやら埒外なので、今回二名の同時採用は目立たざるを得ないわけである。困窮していた樋口一葉は経済支援の見返りとして「めかけ」になることを求められ、かなりやばかったようだが、士族のプライドで断ったとか。それが彼女の短命を助長しなかったとは思えない。

 だから、畜妾は極貧女性救済という一面もあると言われる場合があるが、さてこの論理、セクハラが声高に正論となった今に通じるわけはない。しかし、世の中あいもかわらず性を売り物にし、それを買う輩も絶えることない現実は、男女のわりない仲はなんだか古今東西を通じて永遠に継続するように思えてしまう。私の耳にまで「ホスト、立ちんぼ、トー横」情報が入ってくるのが、現況なのである。そこに切実な生きていく上での切迫さなどないように思えるのは、私の驕りなのであろうか。

 この類いの基本文献は以下。黒岩涙香『弊風一班畜妾の実例』現代教養文庫、1992。

 その元情報は、「万朝報」(よろずちょうほう)が明治31年7月7日~同9月11日まで490例にわたって“畜妾”キャンペ-ンを張ったもの。

 

 

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