かつての上モエシアの州都にして要塞都市ヴィミナキウムViminaciumは、現在のセルビアに属するが、その首都ベオグラードから直線で63km東の、同様にドナウ川に面して位置して対ゴート族と対峙した文字通り帝国国境の町である。そこでバルカン半島最大の円形闘技場と帝国最大級の墓地が19世紀後半に再発見され定期的に調査が継続されてきたが、2023/11の初頭に、今般調査が始まったばかりのローマ時代の民間居住地の遺跡から古代ローマ風の風鈴が発掘された。これがちょっと曲者で・・・(^^ゞ。
それは青銅製のティンティンナブルムTintinnabulumとして知られているもので、ご当地では2番目の発見だそうだ(一体目は詳細不明、すなわちオーストリアの個人コレクションの由)。中央に翼のある男根(それに追加の突き出た男根があったりする)と鎖に吊るされた 4 つの風鈴のデザインが施されていて、ご同類はナポリ国立考古学博物館のかつての「秘技の部屋」で、年齢制限と時間制を設定して(例のごとくそれらは有名無実で、実際にはチェックなしで開けっぱなし)、今では自由に多数を見ることができる。そうなる以前の30年前に、私は強く希望して特別許可をえて倉庫然とした雑然とした環境の中で見学したこともあるが(村川堅太郎が嬉しそうに書いていたので是非とも見たかったのだ)、いい時代になったものだ。
それは当時邪視を避け、魔除けのお守りとして戸口や軒下にぶらさげられた男根形が基本で、その形状は、悪や不運を回避する神格fascinus 神、ないし fascinus神をあらわし、ぶら下がっている風鈴は、その音が悪霊を怖がらせると信じられていた、からだそうだ。ま、いかにも即物的な地中海世界なのである。
かつて古代ギリシア・ローマにおいては街の至る所に男根が見られ、男根=男性優位文化の一端を端的に示しているものとされるが(エヴァ・C.クールズ (中務哲郎他訳)『ファロスの王国:古代ギリシアの性の政治学』岩波書店、1989年:ところでこの”奇書”がこともあろうに岩波から出版されたのは、私には驚嘆ものだったのだが、それが初版で絶版になっているのは解せない、というか覚悟が足りない。強く再版を願っている)、そんなに大仰に言いつのらなくてもいいような気がしないでもない。まあ辻つじの道祖神みたいなものだったのでは。
ところで、なんと時代は下って、カトリック教会でミサ聖祭中に使用する鈴もtintinnabulumと称する由で、これも魔除けの延長に位置づけられているようだが、さてどうだろう(これも古代ローマ的伝統を内在していて一向に平気なローマ・カトリック教会の体質の一端を示しているようで興味深い、といっておこう)。馬や羊の首につけられた鈴も魔除け目的を兼ねていたとされているのは納得できるが(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%A0)。
これも30年ほど前に、F 修道会の日本人の神父さんから聞いた話だが、イタリアでは乾杯のときに「チンチン」という(場合もある)のだが、彼が「日本ではチンチンは●●のこと」と修道会の食事のときに言ったら大受けだったと。おいしいワインと料理が出ないと修道士たちから不満が出るという、いかにもF会らしい話であった。
私事であるが、私はかつて横浜で開催されたポンペイ関係の展覧会のグッズ売り場で首からぶら下げる魔除けのそれを教材用に購入したし(さすがにこの類いが売られていたのはこの時だけだったと記憶する)、漫画「テルマエ・ロマエ」の有料付録で手に入れたことさえある(いずれも以下写真のようなもの)。しかし、実際には一般学生対象の授業で見せるには至らず、よほど気心が知れたゼミ生に開陳したことがあるくらいだ(私の収集品にはこういう危ないものも色々含まれていた:いびつな性的瞥見の今日日の大学教室で見せていたらセクハラと訴えられかねないかも。無事に停年を迎えられたのがウソみたいだ)。不自由な時代になったものだ。
私が最近の展覧会のグッズ売り場に不満なのは、えてして古代ローマ時代と無関係なもの(食材とか抱き枕とか)を販売していることで、せめて装飾品売り場にまあこういった教材になるようなものも置いてほしいと思っているのである。実際に購入する人は少ないだろうけど。
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