「充分です、主よ、充分です」

 10/23日に月1の読書会が我孫子であった。そして待ち合わせで人を待っていて、JR我孫子駅に設置されていたデジタル掲示を見るともなく見ていて、えっ、と驚いた。それは茨城県の観光案内だったのだが、県の表示が平仮名で「いばらき」となっていたのである。それまで私は「いばらぎ」だと思っていたので、あれれと。大阪の方にも「茨木」市があって、こっちのほうは正真正銘の「いばらぎ」だとおもってきたのだが、調べてみたらどうやらこちらも「き」のようで、二度びっくり。

 そんなこんなの翌日の今日の夜、NHK総合で偶然「名品の来歴」をみた。聖フランシスコ・ザビエル画像がテーマだったが、かなり漫画チックな砕けた内容構成で楽しく見ることできたのだが、内容的になかなか見応えがあった。そこで出てきたのが大阪府茨木市、そう、その市内の千提寺(せんだいじ)で、件のザビエル画像の掛け軸がその地の隠れキリシタン東家の開かずの櫃の中に他の遺物と共に保存されていたが(この地の隠れは10軒ほどだった由)、300年後の大正9(1920)年に公開されたこと、それを金持ちでケタはずれのスケールのボンボン池長孟[たけし]が買い上げたエピソードはよく知られている。ちょっと前のNHK朝ドラ「らんまん」のモデル牧野富太郎の借金を肩代わりして(そのとき彼はまだ京都帝国大学学生だった)「池長植物研究所」を創設したのは、弱冠26歳の時だった。南蛮美術に特化した私立「池長美術館」を開館したのは1940年、彼が49歳の時で、その所蔵品は戦後神戸市に寄贈された。

 件の絵図はおそらくイエズス会のセミナリヨで洋画を学んだ日本人絵師が描いたものであろうが、高山右近の旧領だった地に潜伏キリシタンによってどうやら宣教用具一式の中に混じって隠匿されてきて、それらは現在、その千提寺にある茨木市立キリシタン遺物史料館と、神戸市立博物館にそれぞれ保存展示されている由で、なんだか見学にいきたくなってしまった。

 ザビエルの口から出ているラテン語の言葉が「充分です、主よ、充分です」SATIS EST DÑE[Domine] SATIS ESTであることはよく知られているが、今回の番組で掛け軸の下の黄色地に書かれた万葉かな?の意味を初めて知った。「瑳聞落怒青周呼 / 山別論廖 / 瑳可羅綿都 / 漁父環人」(聖フランシスコ・ザビエルのサクラメント ローマ教皇[認可])

 テレビではそれとは別に長崎の日本二十六聖人記念館所蔵の「雪のサンタ・マリア」の掛け軸も出てきたが(ご覧のようにかなり痛んでいる)、あの題材はローマ市のサンタ・マリア・マッジョーレ教会創建時の故事に拠っていて、並みいる教会堂の中でも私が最高に好きな聖堂の一つがマッジョーレで、それつながりでこれも思い入れ深いものがある。

《付加》

 私が時々覗く「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」によると、教皇は、2023/11/12の慣例の日曜正午のアンジェラスの祈りでハマス人質の解放とパレスチナでの停戦を改めて呼び掛け、「十分! 兄弟たち、もうたくさんだ!」(Genug! Genug, Bruder, genug!)と叫び、「全ての人は平和に生きる権利を持っている」と語った(バチカンニュース11月12日独語訳)。

 意味は真逆であるにしても、やっぱりフランシスコ教皇はイエズス会員なんだなと、再認識。

【付記】2024/1/24 23:00- BS朝日1 レジェンドキュメント「花在ればこそ吾も在リ:世界的植物学者を支えた神戸人」を見た。これは2012/12/23にサンテレビで放映されたもの。詳しくは以下参照。https://www.bs-asahi.co.jp/legendocument/lineup/prg_072/

「日本植物学の父」と呼ばれる植物学者・牧野富太郎を支えた神戸ゆかりの2人にスポットを当てたドキュメンタリー番組。近代植物分類学を築いた牧野を、資金で支えた神戸の資産家・池長孟(はじめ)。そして「アメリカの発明王」エジソンの助手を務めたこともある撮影技師・岡部芳郎。2人と牧野の接点はどこにあったのか。なぜ彼らは牧野を支援したのか……。
それぞれの関係を紐解きながら、世界的植物学者を支えた2人の神戸人に迫る。

 さすがの池長猛も牧野の膨大な植物標本を持てあまして、整理することなく東京に送り返したらしい。

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