忘れてはならじ、戦争棄民

 夜中の民放でフィリピンに無国籍のまま取り残されている日本人のこと扱っているドキュメンタリーをみた。それでちょっとググってみたら、テレビにも登場していたNPOの猪俣典弘さんの手記を載せた佼成新聞がヒットした。この新聞はいうまでもなく立正佼成会の機関紙である。コロナで財政難に陥ったNPOに会が寄附したのが縁らしい。

 「忘れられた日本人――フィリピン残留日本人二世」と題したシリーズの第一回(https://shimbun.kosei-shuppan.co.jp/contribution/57787/)が、昨年の8/15で、丸1年間12回の連載だった。ちなみに最終回は今年の7/27(https://shimbun.kosei-shuppan.co.jp/headerslide/64296/)。

 父が日本人で母が現地人の間に産まれた4000人ほどいた二世残留日本人たちもすでに生き残っているのは400人ほど。彼らは無国籍のまま放置されてきていたのだが、本人たちが現地日本大使館に何度訴えてもなしのつぶてで、民間のNGOが動いてそれでもかなりの人の日本国籍を取り戻したらしい。

 こういう話を聞くたびに、在〇〇日本大使館っていったい誰のための大使館なのかとここでも腹立たしくも情けなく思うのである。我ら庶民日本人ではないことだけは確かだ。国会議員や特権階級のために決まっている。大使館職員は、裏ではグチってみせながら彼らのためなら嬉々として動く(どっかの首相の長男の場合だって、むしろ率先して公用車を回していたはず)。人間の心の痛みを持った外務省職員なんて期待できないという悲しい現実があるのだ。「いのちのビザ」杉原千畝氏への外務省の冷遇を思い出すべきだ。体質は厳然として変わっていない。おそらく未来永劫。

 それに引き替え、かの新聞掲載シリーズ第2回で登場した上皇上皇后両陛下が、在位中の2016年に海外最後の訪問地としてフィリピンにいかれ、当然のように残留孤児たちにお会いになって、一人一人親しくねぎらわれたことを比較したくなるのである(余談だが、この両陛下の行動は、面会人数を大幅に増してのことでもあったので、出先大使館にとってメンツ丸つぶれの面倒事だったはずだ。私がローマに滞在したとき、皇后美智子妃は一度言い出したら折れないから厄介だと大使館員が言っていた、という風聞を聞いたことがある。なに、ヨハネ・パウロ二世もよく寄られていたバチカン近くの、イエズス会本部前のサント・スピリト・イン・サッシァ教会を訪問したいと言い出したかららしい。大使館側はたぶん警備上の都合を言い立てたのだろう:真偽のほどは神のみぞ知る。ローマではこの類いのまことしやかなこぼれ話をよく聞いた)。

サンピエトロ広場       右角のくの字の白い屋上がイエズス会本部   Santo Spirito in Sassia

 そしてこの問題、実は政府による国民の棄民はフィリピンだけではないわけで。

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