(5)3/16の徘徊

 まず、その前日のリド・ディ・オスティアの海岸での夕焼けをごらんください。私はこの鮮明なあかね色が好きです。白い雲が朱に染まり、徐々に墨色に変わっていく。なぜか日本ではこんな夕焼けに会えない気がする。我らはこれを見た後、中華料理屋でチンタオ・ビールと夕食を楽しんだ。

3/16 晴天。

 ドイツ留学中で先般我らと合流したGE君と二人でオスティア管轄の遺跡めぐりを企て、早めに駅前で郊外線バスのコトラル1.3ユーロを2枚づつ購入してイゾラ・サクラのマウソレオに向かう。乗車場は駅の若干左側。

 例の給水塔が見えたところで無事下車、ところが早く着きすぎて10時だっけの開園まで間が持たないので、まず北の教会跡、その後、西のマウソレオを押さえ、そしてロータリーのところにあるバールでこちらでの朝食、ブリオッシュとカプチーノ。そこからちょっと西に歩いたところのエディコーラでポルトゥスに行く道を店のご主人のお爺さんに教えてもらうが、橋が30分西にしかないので、そこからほぼUターンで小一時間歩かないといけない。とぼとぼ歩いてようやくポルトゥス公園の入口につき、2人いたクストーデさんの指示に従い、園内を北に道をとり、受付にたどり着く(入口に作っておけよ、といいたい所だ)。そこにも3名ほど人がいて、あっちがクラウディウス、こっちがトラヤヌスと説明を受けたあとは、勝手に自力で歩くシステム。遺跡の説明板はあっても道順なんかの標識はない。野原の気ままな散策という感じ。このところの晴天続きもあって、もう雨期も終盤の趣で野原には可憐な花も咲き乱れている。

トルローニアの館までいって、最近発掘中の皇帝宮殿方面はパスして、帰路に移る。入口への帰り際にすれ違った見物人は2組のみ。すでにかなり疲れていたので(約1時間の無駄なUターンがきいていた:あのロータリーあたりに橋があれば、または陸橋の自動車道に歩道があれば、こんな苦労はしなくてすむのに・・・)、ウーバー方式のタクシー呼んで船舶博物館への道を探ろうと思ったが、まずは途中で見かけた中華料理屋(例の赤い提灯ぶら下げている)で昼食をとひたすら歩いて、そこでビールを飲んで元気になり、GE君のケータイで首尾よくタクシーも来てくれた。それに乗って20ユーロで博物館に到着。

 私はオスティア・アンティカ遺跡で購入した18ユーロの入場券で、彼は40ユーロの年間パスで無事入場。20年前と比べて今回内装もすべて改装されたようで明るく、船の展示はいうまでもなく、説明板、関連展示もなかなか体裁よくあか抜けている。本物とコピー取り交ぜての展示物の中でひときわ私の注目を引いたのは、船舶繋留装置であった。その直後、それ関係で予想外の遭遇もあったのだが、その時はそんなこと知るよしもない。我ら以外の入場者は男性一人のみ。そこになぜか係員5,6名はたむろしていたな。なんとも贅沢というかいたずらに無駄な感じである。

しかしこんな浅い凸で船がちゃんと係留できるのであろうか
私が異常接近していたので、2人の女性監視人の注目を引いてしまったが、何もいわれなかった。本当は計測したかった

 そこを出て、我らは博物館の背後の野原に出た。突堤跡とかつての港の管理者の公邸跡を見るためだ。お喋りに興じていた係員、監視カメラ見ていなかったのだろう、警告を受けることなく、そこでなんてことない平凡な写真を撮る。それが以下。

こんもりとした凸が向こうへと続いている

だけど、そのあとリド・チェントラルの宿舎方向ないし飛ばしたマウソレオに帰ろうとして、右往左往、この日の徘徊が始まったのであ〜る。まずはバス停をさがすがみつからない(空港内巡回のシャトル・バスはあるが、郊外線のコトラルが・・・)、GE君のケータイ情報でそれがあるというちょっと離れた北側に向かう。

 その途中でなんととんでもない遺跡に。それは博物館の裏にあった突堤の延長で、自動車道で切断された向こう側の続きだった。それ自体の存在は平面図で知ってはいたが、それを目の当たりにできたのは、この徘徊の思わぬ副産物であったのだし、しかも博物館の裏のそれには見当たらなかった、私にとってきわめて興味深い痕跡がそこに認められ、俄然興奮も高まったのであ〜る。それは、トラヴァーチン製と思しき船舶繋留装置が抜かれた跡であった、はずなのだ。文字通り、犬も歩けば棒にあたる、豊田が歩けば遺跡にあたる。だから徘徊はやめられない。

自動車が疾駆するこんな自動車道をヒヤヒヤしながら歩いていると・・・(右側が博物館区域)
左手の草地に突堤の延長が…
よくよく見ると等間隔で穴が開いている、これはひょっとすると・・・

たぶんひょっとしたわけである。最左付近での穴ぽこ間は平均141-150cm、穴の大きさは横幅30,縦25cm、といった感じで、我が愛すべき米軍御用達のガーミンによる高度は−14mと出た。え、なんでぇ?

 この出会いで私は充分満足したのであるが、その遺物を通り過ぎて見返すと、おっとっと、

さらにその偉容が偲ばれることとなった。これは博物館裏の突堤跡ではそれほどでなかった光景だ。そしてこちら側には穴は開いていない。

ちなみに我が愛すべきガーミンによるこちら側の高度は40m! ものの10分でのこのでたらめさにはもはや苦笑いも浮かばない。

 その後、その先のロータリーまでいくが、停留所が見つからないので、タクシーを呼ぼうとしてこれもうまくいかない、たぶん飛行場に近いせいだろうとのことで、博物館までまた引っ返すが、そこでもタクシーはなぜかイタリア語をまくし立てて来てくれない(キャンセル3回)。しょうがないので明るいうちに飛行場のターミナルまで歩こうということになって、それは自動車道をあれこれいくつも強制横断するということなのだが、無事成功し、私は初めて徒歩でローマ空港にたどり着くという貴重な体験をすることができたのであ〜る。これを得がたい体験といわずして・・・、なにをか言わんや。

 なつかしのターミナル3のタクシー乗り場で乗車、トゥティ・トレンタと連呼して(全員で30ユーロ、のつもり:ローマの雲助運転手、下車時に一人30だと言いかねないので)、運ちゃんもメーター倒さず動きだすが、どうやらオスティア橋での事故のせいで渋滞に巻き込まれさんざ時間とられながらもリド・チェントロ駅に到着。運ちゃんお約束の30ユーロ以外に渋滞にこと寄せてチップを要求し、面倒なので金満日本人の端くれとして5ユーロ札を出すと喜んで引ったくる。

 18時過ぎてのご帰還に、心やさしいOK氏はわれらのためにビールを残してくれていた。夕食はご飯を炊いて、ふりかけ関係ですませ、早く寝る。28580歩。これって今回最高歩数だ。

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