ユスティニアヌス時代の「疫病」再検討

 史料の再検討と、最近の遺伝子研究に基づいて、新たな見解が提出されているようだ。私にとっては少し間遠い時代のことだが、ケンブリッジ大学のPeter Sarris教授の論文を掲載した研究雑誌が”Past & Present”の今月号なので、なんとも懐かしい。

 まだ論文本体を見ていないが、「Archaeology New Network」によると(2021/11/18:https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2021/11/justinianic-plague-was-nothing-like-flu.html)、2018年にイギリスのEdix Hillのアングロ・サクソン時代初期の埋葬地で発見された遺骸のDNA調査から、Yersinia pestis株が発見されたが、それは6世紀のパンデミックに関与したものの中でも最も早い時期の系統であった。これを根拠に、サリス教授は「従来の研究は、新しい遺伝子の発見を無視または軽視し、誤解を招くような統計分析を行い、古文書が提供する証拠を誤って伝えている」、また「歴史家の中には、病気のような外的要因が人類社会の発展に大きな影響を与えたと考えることに深い敵意を持っている人もいて、『ペスト懐疑論』が近年注目を集めている」とも指摘している。

 教授がもっとも注目するのは、542年から545年の間に行われた重要な法律の乱発で、それらは「ペストによる過疎化に直面し、土地所有者の組織にペストが与えたダメージを抑えるために出された一連の危機管理措置」だったとする。

 従来の「疫病がエジプトのペルシウムPelusiumに到着してそこから広がっていく様子を描いた文学的な史料から始めて、考古学的・遺伝学的な証拠をそれらの史料に基づいた枠組みや物語にはめ込んでいくという方法」はもはや通用しない、541年に紅海経由で地中海に伝播したペストとは別の、もう一つのそれは、それよりもやや早く、おそらくバルト海とスカンジナビアを経由してイギリスに達して、そこから大陸の一部に向かった可能性が出てきたわけだ。

 最後に教授の印象的な言葉を記しておきたい。「遺伝学的証拠の増加は、我々がまだ予想できない方向に導くでしょう。歴史家は防御的に肩をすくめるのではなく、積極的かつ想像力豊かに対応する必要があります」。

 そうありたいものだ。

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