アルドブランディーニ家とミトラエウム:オスティア謎めぐり(13)

堀賀貴編著『古代ローマ人の都市管理』九州大学出版会、を読んでいて、関連でちょっと調べたら、アルドブランディーニ家がらみで偶然23つの事例が引っかかってきた。 ことの発端は以下である。ティベリス川の洪水に古来悩まされ続けたローマは、河岸河床監督官を定めたというくだりで、その官職名curatores riparum et alvei Tiberis をググっていて(それはそれで、「使徒行伝」13.4-12に登場するキプロス総督[正確には騎士身分から派遣される管理官procuratorのはず]Lucius Sergius Paulus/Paullusと関係あるかものという名前も出てきて、知らなんだ〜と大いに興奮したのだが、念のためと田川建三大先生の注解書を開いてみたら、すでにK.Lakeが1933年の注解書でちゃんと説明しているように同一人物とはいえない、とそっけなく却下なさっていて、私はエウセビオス研究がらみでかねてK.Lake先生のご研究を尊敬してきたので、こりゃもうあかんとガックリ)、たまたまなんと、curatores riparum et alvei Tiberis di Ostia antica もヒットした。 おいおいこれはなんなんだ、そんな官職オスティアにあったって聞いてないよ〜とそっちをググり出すと、Mauro Greco氏が2018/2/4にアップされた「Il cippo dei Curatores riparum et alvei Tiberis di Ostia antica」(http://visiteromeguide.altervista.org/cippo-dei-curatores-riparum-alvei-tiberis-ostia-antica/)が引っかかった。最近クラウディウス帝のローマ市域石標pomerium cippus を紹介していたので、あれれこんなものオスティアにあったかいなと、レジメ作成作業を中断してとうとう大幅に横道にそれることに。Mauro Greco氏によるその紹介文に「オスティア・アンティカをよく知る人なら、遺跡の左側にあるアルドブランディーニ家の敷地に沿った未舗装の道を散歩したことがあるだろう。アルドブランディーニ家の敷地に通じる大通りから数十メートルのところにある分かれ道で、2つの大きな石柱に出会う」とあって、これまたはじめて知った「アルドブランディーニ家」Aldobrandini という存在(ググってみれは、これはフィレンツェ起源の大変な名家だった)や、それが遺跡の左側にあるという叙述に、どっちから見て左側なんだ、現在牧場風の空間が広がっている右側の間違いじゃないの〜、と首を傾げながら、Google Earthで検索したりググってみたりする中で、今度は「Mithraeum Aldobrandini」なんてものもヒットして(http://www.visitostiaantica.org/en/2017/07/02/the-mithraeum-aldobrandini/:但し、Stefania Gialdroni女史撮影の掲載写真は表紙の1枚を除きすでに見ることできなくなっている)、これはひょっとして20年も前に気になって探していた19番目のミトラエウムのことでは、と。 昔、オスティア遺跡にあるミトラエウムに興味を持ち調べたときの知識では、オスティアのローマ側からの入城門 Porta Romana門の右側城壁をテヴェレ川方向に辿ると塔があって、そこがミトラス教の祠だった、というごく簡単な説明しかなかったと記憶しているが、現地で遺跡とテヴェレ川の間のそれらしい場所を見当つけて道伝いに探し歩いたこともあったのだが、農地と私有地だらけで、その上甲高い番犬どもに吠えられたりで目的を果たせなかった過去があった。今回みつけた写真はあのとき探せなかったのも道理で、「塔」というにはおこがましい小型の構造遺物で、しかも「アルドブランディーニ家」の私有地の中にあって非公開ということも分かり、まあこれで一応積年の疑問を解消することができただけでなく、上記ウェブ掲載のリンク先に飛んでみるとなんとそれは例の「OSTIA:Harbour City of ancien Roma」で、いつの間にか充実した記事となってアップされていて(https://www.ostia-antica.org/regio2/1/1-2)、めでたく写真や碑文も入手できたのである。そのウェブの管理人Jan Theo Bakker氏の尽力はかくも偉大なのである。これはこれで十分紹介する内容を備えているので、誰か手早く紹介すればいいのになと思わざるを得ない。ああ、天我をして十年の命を長らわしめば・・・。 さて本論のcippusに話を戻したいが、それは続きで。最後にGialdroni女史撮影の「塔」の表紙写真を転載させていただこう。
ところでこの項目、なんど段落切っても修正されない。どうしたことか。読みづらくて申し訳なし。
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