現代の奴隷制を直視すべし:飛耳長目(71)

 私は今回の新コロナ騒動が起こるまで、迂闊にも、ヨーロッパの農業が海外移民によって支えられていることを知らなかった。我が国でもその実態が報道されるようになってきている。以下を参照、但し有料:

「コロナが暴いた「奴隷制」:安い肉の裏で苦しむ移民たち」https://digital.asahi.com/articles/ASNDF7FVMNDDUHBI016.html?iref=pc_rensai_article_short_1102_article_12);

「トマト缶なぜ100円台で買える?:農業仕切るマフィア」(https://digital.asahi.com/articles/ASNDF7GKBND3UHBI02Y.html?iref=pc_rensai_article_short_1102_article_13)

 考えてみると、古代世界を考える時、奴隷制を抜きにしては考えられないという認識はあったが、それは研究者たちにとってもそのはずで、しかし、それはあくまで古代社会でのことで、現代社会とはそう連結されてこなかったような気がする。しかし教科書的に、古代ギリシアと区別される古代ローマでの奴隷制を論じ得ても、現代社会の欧米や日本でそれが温存されていることからは、目が塞がれてきたというか、目を塞いできたような気がする。すなわち現代社会での奴隷制の存在の分析(解決するなどというのはおこがましいが)に何の役もたってこなかった古代奴隷制研究ではなかったか。

 日曜日の朝、いつも妻と一緒に見て和んでいるテレビ番組「小さな村の物語イタリア」(BS日テレ)は、もう300回を越えている長寿番組だが、そこには海外労働者は出てこない。そして家業を継ぐ子どもたちの連続だ。ひょっとして今はなき古き良き時代を演出しているのだろうか。https://www.bs4.jp/italy/#summary

 NHKでやっている日本版の「やまと尼寺:精進日記」も時々見ているが、これも今は失われた生活再現。https://www.nhk.jp/p/ts/78293ZQNMM/schedule/

【追加】2021/1/8記

「米国で400年続くカースト制度:トランプ人気の追い風に」(https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21236)

 この問題を解決しない限り、アメリカは民主主義国とはいえないはずだ。なのにどうしてアメリカは自由主義世界のリーダー顔をすることができるのだろうか。えっらそうに中国のことを言うことができるのだろうか。この解説分の最後付近に以下のように書かれている。「本書を読んで初めて、経済的に恵まれない白人の労働者たちが、なぜあれほどまで熱狂的にトランプを支持するのかが分かった。一番下の階級に属するはずの黒人たちに、社会的な地位において追い抜かれてしまうのではないかという恐怖心が根底にある。そうした不安を忘れさせてくれる、頼れる白人のヒーローがトランプだったのだ」。

 この構造はまさしくナチス時代のドイツのみならず、西欧全体においても存在した。

 今日、またやっていた映画「フォレスト(うすのろ)・ガンプ」で、主人公が高校時代にいじめられる場面で、彼を追い回す車に南軍のステッカーが張ってあるのを初めて見つけた。フォレストの名前自身も「KKK」団の創立者だし、アラバマ的背景をなしているというべきだろうが、ちらちら出てくる差別問題への製作者の意図と距離を私は計りかねている。

Filed under: ブログ

コメント 0 件


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Comment *
Name *
Email *
Website

CAPTCHA