下の絵は、古代ローマのトイレ、具体的にはイギリスのハドリアヌス長城の駐留軍(正確には補助軍)陣地に設置された水洗(流水型)トイレの復元想像図です。
![](https://i0.wp.com/www.koji007.tokyo/wp-content/uploads/2020/10/スクリーンショット-2020-10-19-3.40.33.png?resize=1024%2C481)
こんな絵を見た後で次の写真見たら、古代ローマのだと思いますよね。
![](https://i0.wp.com/www.koji007.tokyo/wp-content/uploads/2020/10/スクリーンショット-2020-10-10-18.39.17.png?resize=386%2C262)
![](https://i0.wp.com/www.koji007.tokyo/wp-content/uploads/2020/10/16d7f5bf.jpg?resize=391%2C293)
でも違うんです。上の2つの写真はアウシュビッツの強制収容所のトイレです。どうやら水洗式ではなかったようです。ある情報では10秒間で用を足すことが求められていたそうですが、むしろ私は落とし紙になに使っていたのか気になります(ご存知の方、教えて下さい:k-toyota@ca2.so-net.ne.jp)。
![](https://i0.wp.com/www.koji007.tokyo/wp-content/uploads/2020/10/image44.jpg?resize=393%2C295)
反論が出るかもなので、こういう水洗式が設置されていたすばらしい強制収容所もありました(皮肉です、念のため)、と指摘しておきます。
しかしこれを知ったあとで、古代ローマの公衆トイレについての俗説(開けっぴろげで、一種の社交場でした、なんて)を信じることできるでしょうか。
【補遺】https://www.youtube.com/watch?v=hR2SR-2Pows:不潔なので監視も甘くなり、赤ちゃんの隠し場所となり43名助かった、とガイドさんが話してますが、一日2度しか行けない規則だったそうなのだが、赤ちゃんは乳を求めて泣かなかったのだろうか。なんだか作り話みたいな気がする。
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