新刊紹介:『絵で旅するローマ帝国時代のガリア』マール社

 翻訳者が知り合いの、瀧本みわさんと長谷川敬氏のお二人から献本が届いた。著者はジェラール・クーロンで、イラストはあのジャン=クロード・ゴルヴァン。原著初版は2002年,第2版は2006年だが、この翻訳は3版の2011年に依拠している。考古学的知見に基づく再現イラストの威力ははかりしれない。絵本を見るような気楽さで、当時の風景をイメージすることができるわけだからだ。もちろん解説文の内容も専門家が書いているので高度で安心して読める。

 ただ、BookFinder.comによると、現在は2016年4月版(ハードカバー)ないし10月版(紙装版:ハードもあるような)が新刊として出回っているようだ。これが第3版の増刷なのか、第4版なのか、私には気になるところである。まあ初版から5年ごとに出し直しているので、第4版の可能性大であるが。

左が2002年初版、右は2016年版の表紙、か?

 というのは、私が最近興味を持っているGrandの遺跡について、翻訳冒頭の「第3版に向けて」で、「とりわけグランの復元図は、修正する必要があ」り、新たな復元図を発表予定、と書いてあるからだ。これは不意打ちだったので、いささか慌てて、翻訳者に問い合わせたところ、長谷川氏のほうから、復元図そのものは第2版とまったく同じだが、図の解説では聖域の泉の左の大神殿を「アポロ・グランヌスの神殿」 としていたものが、第3版では紹介文は消え、また第2版では単に「バシリカ」とのみ紹介されていたものが、 第3版ではモザイクについての記述が追加されている、と丁寧な回答があった(ご多忙中にもかかわらず、深く感謝します)。

 だが、あの「第3版に向けて」での言及がその程度の修正にすぎないものとは思えないので、現在、崩壊寸前の小教区教会付近の場所が神殿に該当しているので、そこらあたりの発掘調査から何も出なかった、とでもいうのだろうか。

 当方がとりあえず梗概で得ている最新情報(Pacal Vipardの2015年の論考)では、その件よりも、カラカッラ帝の訪問について「証拠は現在の仮説を覆すには至っていないが、きわめて脆弱である」と述べている程度なのである。こうなると空振りを覚悟で2016年版の遅いほうを入手するしかないが、さてアマゾン・コムでの発注なのでこちらの注文通り10月のほうが届くかどうか。ともかくやってみないと始まらない。物入りなことである。

【追記】注文していたものが届いた。当方の狙い通りの10月出版のいわゆる第4版だったが、内容的には第3版の増刷版のようで、とりあえず修正箇所はみあたらなかった。残念である。

【蛇足】ところで、こういう楽しい本を眺めているとつい忘れがちなのだが、古代ローマの基幹産業はあくまで農業であって、ということはおそらく人口の8〜9割は農業に携わっていて、そういう彼らにとって、とりわけ属州での都市生活はもとより、いわずもがなローマ的な文化装置は、たとえ享受できたにせよ生活のほんの一部にすぎなかった。これまで研究者がもっともらしく言ってきた「ローマ化」なんてその程度、と理解すべきなのだ。論より証拠、ローマ軍がブリタニアから撤兵したとたん、それ以前のドロ屋根住居の生活水準に逆戻りした事例を思い出すだけでいい(というより、現地庶民はそんな生活をずっと持続していただけのことだろう)。ブライアン・ウォード・パーキンズ(南雲泰輔訳)『ローマ帝国の崩壊:文明が終わるということ』白水社、2014(原著2005)。なに、ローマ帝国の衰退・崩壊ではなくて、そこが本当は本質的になんらローマ化してなかっただけのことなのだ。

 ローマ化の指標とされてきた闘技場にせよ劇場にせよ、公衆浴場、神殿にせよ、それらは第一義的に征服者とそれに追従して恥じない現地の上層者のための設備だった。これは連想するだけで分かりそうなことだ。満蒙開拓団が入植した満州で、日本敗北後たとえレンガ造りの構造は残っているにしても、伊勢神宮の分社は跡形もなくなっているはずだ。ハワイでは、日系移民によって祭神にカメハメハ大王やワシントンやリンカーンが加えられて存続しているらしい:しかし、これを誰も「ハワイの日本化」とは言わないだろう。

 なのに現代の研究者は訳知り顔で「ローマ化」と平気で言っちゃうのである。自分の頭で何も考えていないのだな〜、と思ってしまう。

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