投稿者: k.toyota

エルコラーノ出土の炭化パピルスから新たに判明した哲学者ゼノンのエピソード

https://www.labrujulaverde.com/en/2025/10/analysis-of-carbonized-papyri-reveals-intimate-details-of-the-life-of-zeno-founder-of-stoicism

 後79年のヴェスビオ火山噴火で埋没した都市のひとつにヘルクラネウム(現エルコラーノ)があるが、そこの「パピルス荘」というかなりお金持ちの邸宅の一部が18世紀に発掘され、その名が与えられているように、その家の図書室から当時の巻子本でパピルス文書が出土した。発掘当時は炭化して手がつけられない状態だったが、徐々に解読され、その中の1書に、文献では今日まで伝承していないエピクロス派哲学者ガダラのフィロデモス(前110年頃ー前30年頃)による『ストア派史』があった(逆に言うと、我らがよく知っているギリシア人やローマ人の著作は見つかっていないという、興味深い事実もある)。
 このたび行われた登録番号P.Herc.1018のパピルス文書断片の調査では、最新鋭の赤外線画像技術であるアクティブサーモグラフィー技術の応用でこれまで不可能だったギリシア文字と炭化した紙の判別が可能となり、従来より10%可読部分が増加した。

登録番号P.Herc.1018のパピルス文書断片

 その中に、ストア派の創始者とされてきたキプロス島のキティオン出身のフェニキア人ゼノン(前335ー263年)についてのエピソードが含まれていて、「新たに読み取られた断片テキストでは、ゼノンの鮮明でニュアンス豊かな人物像を描き出している。すなわち哲学的思索に明け暮れる禁欲主義者、おそらく質素な食生活に起因する虚弱な体質、そして社交的な宴会を避けるほどの孤立主義的な傾向があった。しかしながら、記述の中には彼に批判的で辛辣な論調も見られる」。エピクロス派がストア派を批判するの当然として、「この文書はまた、この哲学者がギリシア社会に溶け込むのに苦労した様子を浮き彫りにしている。フェニキア系の彼は、ギリシア語の流暢さに乏しいことで公然と嘲笑された。これは、ギリシア人がギリシア語を話さない外国人に対して抱いていた軽蔑的な態度を反映している」と。

パピルス荘から出土したゼノン胸像:台座部分に人名刻印

 同様な目にマケドニア人のアリストテレスも会っていたらしい。しかし、彼らを小馬鹿にしていたアテナイのギリシア人たちは何も残すことなく歴史の闇の中に消え去り、馬鹿にされていたゼノンやアリストテレスは極東日本の世界史教科書にまでギリシア哲学の著名人として登場している。

 それにつけも、アリストテレスやゼノンは古代ギリシア哲学者とひとくくりにされていて、いかにもギリシア人と思われがちだが、彼らの出身地は彼らが活動したアテナイではないので、当然その地のギリシア語方言だったアッティカ方言を流暢に操れなかったわけで、思想と言語は必ずしも一致していないという事実はもっと認知されるべきだと私は思うのだ。 

 その関連で、外来語を取り込んで自国語で思想を語ることをしてきた翻訳大国の日本は世界的に例外であるという指摘があることも、国際言語と距離を保って同化しちゃう民族的独自性としてもっと注目されていいのではと思わざるを得ない(これは、欧米植民地の知識階級が欧米語経由でしか思想を語ることができない現状と比較しての話だし、日本人研究者が凡てその才を発揮しているわけではないことも自明であるが)。

古代におけるギリシア圏での方言地図

 喋るのと読めるのと書くのでは語学の質が格段に違っていると思い込んで自分の語学的才能のなさに諦念し断念している語学オンチの私はつい、アリストテレスの著作って、ひょっとしたらアッティカ方言を操れる弟子たちが口述筆記し加筆訂正したものでは、などと空想してしまう。これは私の在職した大学で、かつて欧米出身の著名神父には秘書役の女性がついていて(男性の場合もあったようだが)、彼女たちが神父の母国語原稿を日本語に訳して公表していたということからの連想なのだが、さて実際にはどうだったのだろうか。

 通常の日常的会話交流とは異なり、やっぱり、それなりに高度な思想はネイティブ言語でこそひねり出せる技のように思われて仕方がない。もちろん語学の天才という存在の例外を排除する必要はないが。

【追記】2025/10/16で、NHKBSでの「英雄たちの選択」の小泉八雲編の最後に、下手な日本語と下手な英語の夫婦でどうして名作の英語版『怪談』が生まれたのかが話題となっていたのが、ここでの問題と通底しているようで興味深かった。ウィキペディアでは以下のように書かれている。「なお、八雲は日本語があまり上手くなく「ヘルンさん言葉」と自称する独特な片言の日本語の変種で他者と会話していた。「ヘルンさん言葉」を完璧に理解できるのは妻のセツだけで、英語のできない客人とは話が通じず、セツが間に立って「ヘルンさん言葉」を通訳していたと次男の巌は『父八雲を語る』で回想している。」

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「初めは処女の如く、後は脱兎の如し」

 ケータイの画像を調べていたら、ローマの国立考古学博物館・マッシモ宮の最上階はフレスコ画中心の掲示になっているが(最大の見どころは、Villa di Liviaのそれだろうが)、Villa della Farnesinaの寝室Dを入口から覗いていて気づいて撮っていたのをみつけた。たぶん夫婦の寝室なのであろうが、部屋の三方の壁の中央の嵌め込み壁画がどうやら連続画になっているようで、なにぶん角度と距離あるのでうまくは撮れてないが、なんとか撮れたものを繋げると以下のごとし(本当は、初夜を前にして新婦が一人で物思いにふけっているのが最初だけど、角度的にうまく撮れないのが残念。それにエロテック情景のせいか、インターネットはおろか各種カタログなどに掲載されていないようだ)。

 また、いずれの画面にもペットの犬猫同様の扱いなのであろう、若い男女の奴隷が所在なげに傍観者的に描かれているのが興味深い。

 私は新婦の変化を見て、冒頭の一句を思い浮かべたのであ〜る。が、今回、語義を確かめてみたら、私の理解はどうやら間違っていたようだ。出典:孫武孫子・九地』

(白文)始如処女、敵人開戸、後如脱兎、敵不及拒。

(訓読文)始めは処女の如く、敵人戸を開くや、後は脱兎の如く、敵は拒ぐに及ばず。

(現代語訳)初めのうち、処女のようにおどおどしていれば、敵は(油断して)門戸を開くであろう、それからは、逃げる兔のように素早く攻撃すれば、敵はもう防ぐことはできない。

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最近のARTnewsJapan

◎古代ローマ墓石が、アメリカから出土の謎:https://artnewsjapan.com/article/48862

◎トルコの浴場からローマ時代のエジプト神図像出土:https://artnewsjapan.com/article/49197

◎イスラエル博物館で観光客が美術品を破壊:https://artnewsjapan.com/article/1676

◎イスラエル・ガリラヤ東岸で石の隙間から1400年前の金貨や宝石が出土:https://artnewsjapan.com/article/47633

◎イギリスの金属探知機愛好家親子が古代ローマ時代のブローチ発見:https://artnewsjapan.com/article/47175

◎オランダから1900年前のランプ完品出土:https://artnewsjapan.com/article/46838

◎ポンペイ秘儀荘から待合用ベンチ出土:https://artnewsjapan.com/article/46308

◎シチリア島西海岸沖海底からローマ軍ヘルメット発見:httphttps://artnewsjapan.com/article/45973

◎1400年前の十字架がアブダビから出土:https://artnewsjapan.com/article/44758

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アドリア海の海面上昇の証拠

2025/9/9:https://www.labrujulaverde.com/en/2025/10/roman-wooden-palisades-discovered-in-italy-reveal-dramatic-sea-level-changes-in-the-adriatic-at-the-beginning-of-the-middle-ages/

 アドリア海の北端に位置するイタリアのアクイレイアは私の大好きな遺跡都市で幾度も行ったが、そこから南に一直線、最後はラグーン lagoon(潟)の中を細い自動車道が延々と走るという異景観で行きつくグラード Gradoにも足を伸ばして毎度のように訪問、遺跡もさることながら、昼食でシーフードと白ワインをゆったりと食す時間を楽しんだものである。

 そのグラードのいわゆるCastrum(要塞)地区(https://grado.it/en/what-to-do/art-history-and-culture/the-city-and-the-historic-centre/the-castrum)の城壁から25mの場所で、2019年の下水道網整備工事中に、3mの掘削で三種類の木柵が出土した。

黄色がCastrum地区、赤丸が発掘地点
発掘場所部分図

 最古の柵は後1世紀後半から2世紀初頭にかけてのもので、ハンノキの板材でしっかりと構築された連続した防壁で、斧で研いで地面に打ち込んでいた。それは、ローマ人がラグーンを埋め立てるために積み上げた瓦礫、陶器、家庭ごみなどの人工的な埋め立て物を封じ込めることだった。こうして住民が泥に沈むことなく海岸にアクセスできる堅固な表面が生まれた。

木柵US 14出土状況

 現在の海面下0.60メートルで発見されたこの柵の頂上には、恒久的に水没していた痕跡が全く見られなかった。水中でのみ木材に穴を開ける「シップワーム」“shipworm” として知られる軟体動物、テレド・ナバリスTeredo navalisによる穴もなかった。

 木柵US 19 は、年輪年代学によって西暦566年と正確に年代測定されたが、全く異なる物語を語っている。この柵は、地面に垂直に打ち込まれた頑丈なオークの柱で構成されていた。US14とは異なり、これは連続した防壁ではなく、むしろ杭がコンパクトに集まっている構造だった。そして、現在の海面下0.80メートルから0.90メートルに位置するこれらの杭の先端には、テレド・ナバリスの攻撃を受けた明らかな痕跡が残っていた。これは、6世紀までに海面が上昇し、そこが恒久的に水没し、海洋生物の餌食になったことを示している。

 木柵US 30も、同じくオーク材で作られた柱が3本のみ残っている。放射性炭素年代測定によると、US 19と同時期に建造された。この柵の目的は海水の流れをせき止めることではなく、砂質湿地帯に築かれたグラードのカストルム(城塞)自体の基礎を安定させることだった。

手前がUS 19、背後がUS 30.

 計測結果によると、西暦100年頃(ローマ帝国時代)、グラード海岸の相対海面は現在と比較して-1.20メートル±0.30メートル。つまり、海面は現在よりも1メートル以上低かった。木柵US14は、時折しか洪水が発生しない環境に建設された。西暦566年(古代末期)までに、相対海面は約-0.80メートル±0.30メートルまで上昇した。これは、約400年間で約40センチメートルの純上昇に相当する。木柵US19は、この海水の侵入に対応して、洪水を起こした土壌を圧縮・補強するための苦肉の策として建設された。

 この学際的な研究は、地中海の気候と地質の歴史という複雑なパズルを解き明かす新たなピースである。海面変動は新しい現象ではない。グラードでは最終氷期後の氷河融解といった地球規模の要因と、地盤沈下といった地域的な要因の影響を受けていた。綿密な科学的研究によって、簡素な木製の柱は、単なる構造遺構から、海面上昇に抗う地域社会の闘いの正確な記録へと変貌を遂げた。

 これは、ナポリ湾岸での海面上昇と連動していたはずで、ただそこでは火山活動での上昇・沈下が問題となる。

 

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隠語でUSA=’Unser Seliger Adolf’ 

 さっきNHKで見たドキュメンタリー「映像の世紀バタフライエフェクト」「ナチを支えた女性たち」で、思わぬ情報を得た。戦争中にヒトラーを崇拝していた英国生まれのWinifred Wagnerは、戦後もその意志を持続し、公ではヒトラーを礼讃できなかったので、隠語で「USA」と言っていた、と。即ちそれはドイツ語で「我が親愛なるアドルフ」の頭文字だったのだ、と。そう言っていたWinifred Wagnerは、なんと音楽家ワグナーの息子の嫁だったのだった。

 こりゃまた大変な皮肉ではある。私はそれまで知らなかったが、ググってみると彼女のウィキペディアでちゃんと書かれているので、よく知られた事実のようだ。

 

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ローマ帝国内での「trade」の翻訳は

 「貿易」や「交易」ではないのでは、というのが私が久しく疑問にしてきた訳語である。

 じっさいググってみると、「貿易(ぼうえき、international trade、trade)とは、ある国(またはそれに準ずる地域)と別の国(同)との間で行われる商品の売買。商品を外国に対して送り出す取引を輸出、外国から導入する取引を輸入という」とあって、だからローマ帝国内での商品流通を「貿易」と訳すのなら、訳者の意識の中にローマ帝国がいわゆる一国構成という理解ではなく、支配と従属の多民族連合国家という認識を下敷きにしているというべきだろう(私はこの認識自体は正しいと思っている:ローマ帝国は、現代の我らがそう思いがちな統一国家ではない、と私は確信している)、というのが私の立論の根拠なのであって、実際「帝国」の定義は「自国の国境を越えて多数・広大な領土や民族を強大な軍事力を背景に支配する国家軍事力で広大な領域を支配している国や侵略主義的な大国」となっているようで、私的に言うと、そういう間接統治という視点でお訳しになっているんですね、と翻訳者に念押ししたくなるのだが、実際には翻訳者は単純に帝国を一国と捉えているに違いないのである。

 じゃあ、ローマ帝国を一国と理解した場合、どう訳せばいいのだろうか。しかしこれも意外に難問である。まあ考える視点として、日本国内での物流をどう表現するかなんだけど。「貿易」「交易」「通商」なんかは避けるべきとして、言葉が貧しい私など、「取引」「商い」「売買」「商売」など、気の抜けた文言しか思い浮かばず、困っている。識者のアドバイスを求めたい。k-toyota@ca2.so-net.ne.jp

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中国による北極海回りのコンテナ航路開拓

毎日新聞 2025/9/29:https://mainichi.jp/articles/20250927/k00/00m/030/131000c?utm_source=article&utm_medium=email&utm_campaign=mailasa&utm_content=20250928

「中国が「北極海航路」で欧州向けコンテナ輸送開始 地政学リスク回避」

 既存のスエズ運河経由より半分以下の日数でヨーロッパに到達できるので、地球温暖化を視野に入れると、絶滅危惧種のシロクマ君には申し訳ないが、将来性ある航路開拓かもしれない。これは一人中国のみならず日本もアメリカも試すに値する航路のように、私には思える。というより以前から注目されていたらしい(https://ene-fro.com/article/ef206_a1/)。しかし、インド洋での海賊の代わりに、中国にとってはそうでないにしても、ロシアの脅威の影響が大なのが、友好国でない諸国には問題となるだろう。だから、アメリカ寄りでの航路も当然視野に入ってくるわけだ。

 トランプのグリーンランド自国化案も案外この視点からの対抗的構想なのかもしれないな。だが米欧間には両者をまたぐ大西洋があるので、迫力としてはかなり劣るが。

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書き変えられ続ける歴史

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/38934?utm_source=newsletter&utm_medium=email&utm_campaign=20250921

 19世紀的史実実証主義の歴史叙述は、ともすると無味乾燥になりがちだが、それに対して、史実と物語を加味した、いわば自称歴史家の手になる正史から落ちこぼれてきた庶民感覚を拾い上げようという営みを主張しているようだ。私の持論とも通底しているようで、興味深い。

 というか、小さな事例を積みあげてゆく営みそのものは歴史学の提要ともいえるが、そこでいわゆる英雄の歴史ではなく、庶民の目を軸に状況を見直そうというわけだ。古代ローマ史の場合、庶民史の史資料は断片的な墓銘碑などに含有されている。それが当時の著名歴史叙述には触れられていない事実の宝庫なのである。

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ああ、切りがない:トイレ研究

 どこかで読んだ論文の註に出版予定とされていて、しかし調べたらまだ出版されてなくて、いつの間にか失念していた論文集が、出版されていた。

Ed.by G.Jansen, A.O.Koloski-Ostrow, R.Neudecker, Sixty-Six Toilets and Urinals in the Ancient City of Rome: Sanitary, Urbanistic, and Social Agency, Peeters, Leuven, 2024, Pp.334.

 現在のレートで郵送費を含めて2万円を超えるのだが、この論文集はテーマ的にローマ市がらみの66箇所のトイレ関係遺跡に触れ(目次を見るとそのほとんどを私は実見していて、その点で安堵した)、全体で40弱の論文からなっているし、その中に常々これまで私が注目していた遺跡も含まれていたとなると、薄給の年金生活者とはいえ購入せざるを得ないわけで、嬉しい反面、リタイア後で研究費がない現状をついかこちたくもなる。

 目次をみて目に飛び込んできたのは「19-21. Urinals of the Colosseum (pp. 61-66) 」で、筆者はElisa Cella と Gemma Jansen。冒頭の19-21はトイレ遺跡の番号なので、コロッセウムには3箇所トイレ遺跡があるというわけなのだろう。実は私はこれまで、五万人内外の収容者数を誇るこの建造物にトイレがないわけはない、という観点から、観光客が見ることができる箇所は繰り返し見て探してきたし、地下構造のツアーにも参加してきたが、いわゆるローマ式トイレ構造を見つけることができず(壁に沿ってコの字型に掘られた溝の部屋は幾つかあった)、中世から現代までの長い歴史の間に古代ローマ時代のトイレ設備は解体されてしまったのでは、との仮説をたてざるを得なかった。その際、思いついていたのは、たしか南仏のニームの円形闘技場(ここにトイレ構造があったことは、某論文で触れられている)の通路の内縁の壁沿いに、おそらく男性の立ちション用の簡易便器(2021/3/8公表のオスティアのI.xvii.2の「ミトラスの浴場」Terme del Mitra のそれを長く拡大した感じ)を目視した記憶があるのだが、それと同じものがコロッセオにもあったのでは、そしてそれが後の時代に取り外されてしまい、だから今探してもみあたらないのでは、というわけである。

左:こういう湾曲の通路の壁沿いにあった 右:Ostiaの立ちション・トイレ

 この仮説、チン説がこの論文集ではどのように扱われているか、それだけでも興味あるのであるが、ただ割り当てられているページ数は6ページに過ぎないので、そう期待はできないかもではある。しかし・・・、というわけで発注したのである。到着は来月中旬のようだが、さてその結果は投資額に見合うものであってほしい。届くのが楽しみだなあ。

【届きました、10/7だっけに:現在の作業を得たら紹介します。】

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今回のイスラエルのハマス攻撃不発をめぐって

 あれ、これまでと違ったなと思っていたら、例の田中宇氏がまたまた角度のある情報をアップした。

 「世界を敵に回すイスラエルの策 」(https://tanakanews.com/

 以前紹介した彼の「ウクライナが親露に転向して終戦する」のほうは、現段階では空鉄砲だったようであるが。

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