8月ジャーナリズムの基本的問題点:降伏日はいつか

 我ら日本人にとっては、なぜか8月15日が終戦記念日となっているが、これは日本人特有のお盆との関連性を持たせる思考方法であって、玉音放送は無条件降伏を国民に知らせたものに過ぎなかったわけである。ここからがむつかしいことになるが、国際法上は、9/2の戦艦ミズーリ甲板上での降伏文書署名が正式のものとされるわけである。

 よって「対日勝利記念日」を9/2あたりを、後付けにせよ、ロシアや中華人民共和国がしているのも一理あることになる。となると、それまで対日戦闘を継続していたことへのソ連軍の免罪符としても利用されえるわけである。

 その一方で、米軍の平和裡の進駐は、昭和20年8月30日、厚木飛行場(大和市、綾瀬市)に、連合国軍最高司令官、マッカーサー元帥が降り立ったときだった。8/15から約二週間の準備期間を経て、9/2直前の進駐であった。

 同様の問題は、ナチス・ドイツの降伏においても生じていたようである。ドイツ時間とソ連時間の時差の問題があって、より複雑だったらしい。

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