「おおやま古墳って奈良にあるのかな」。こんなレベルで毎日新聞2025/6/19のメール記事を読み始めた。実際は「大山古墳」は「だいせん」と読み、我らの世代だと大阪府堺市にある旧名「仁徳天皇陵」のほうが馴染みがある。https://mainichi.jp/articles/20250619/k00/00m/040/108000c?utm_source=article&utm_medium=email&utm_campaign=mailsokuho

なんとその天皇陵から明治初年に発掘・流出された副葬品(刀子と甲冑の破片)が再発見された、というのである。それらは、国学院大が2024年に購入した明治時代の古物収集家、柏木貨一郎(1841~98年)の遺品から発見された。いずれも和紙に包まれた状態で、刀子を包んでいた紙には「明治五年九月」「仁徳帝御陵前之石郭」「刀鐺(かたなこじり)」、甲冑片を包んでいた方には「仁徳帝御陵」「甲冑金具」などと墨書されていた。

好古家・柏木貨一郎についてはウィキペディアに略記があり、役人の時期もあった由で、こういう立場の者がご禁制の出土品を実は隠匿・収集していたわけである。彼の事故死に繫がる下駄が法隆寺の古材であったなどは、歴然とした自己撞着といわざるを得ないが、ともかく世に出て公的機関に所蔵されたことは慶賀の至りというべきか。
私の研究分野でも、ローマで聞いた話であるが、某国外交官がカタコンベから持ち出した遺物を外交行李に入れて自国に持ち出し、コレクションにしていたと。私だってもしそのようなチャンスがあれば、悪魔のささやきに身を任せていただろうと思う。
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