Pompeii,IX.10.1の製粉・製パン場について:新情報

2023/10/20に掲載済みの件だが、ここで新情報を付加して再掲載する。

●ポンペイで、邸宅内で選挙広告がみつかる  2023/10/3

 http://www.thehistoryblog.com/archives/68418

 ポンペイの通りや外壁には1500以上の選挙広告やスローガンが書かれている。今般、IX.10.1の製粉兼製パン業者の遺跡発掘から興味深い出土があった(隣りの2は縮絨工房の由)。

そこはポンペイの一番北を東西に走るノラ大通りに面していて、今年のつい数ヶ月前に発掘されたのだが、なんと邸宅内の家の守り神を祀った祭壇 lararium付近から選挙広告の文字断片がでてきたのである。この普通ではない状況を勘案して、おそらくその家が候補者の親戚か、庇護民か友人の邸宅で、選挙運動がらみの宴会がそこで行われたその残り香がその選挙広告だったのだろうと、研究者によって想像されている。ただその文字全体の確定はいまだきちんとなされていないようなので(一説には「「Aulus Rustiusを国家にふさわしい真のaedileにしてくださるようお願いします」と読めるらしい)、今は造営官aedilisに立候補していた人物名が他からもその存在が確認されるAulus Rustius Verusだったこと以上にここで触れないでおく(彼は、のち二人官duovir候補者として後73年に、それもネロがらみで前回触れたIX.13.1-3のあのC.Iulius Polibiusとペアで登場していた。よって造営官候補だったのは後73年以前ということになるし、おそらく二人官に立候補していることから、このとき造営官に選出されたのだろう)。下記写真にしても、どの場所に文字が書かれているのか、部分拡大写真はあるものの、そもそも私には未確認であることを付言しておく(下の右写真の左端中央隅のアーチがもしオーブンであるとすると、オーブンは平面図の7a、となると祭壇は4の西壁にあって、よって写真は左右を合成したものなのか)。

 左平面図:左1番地が製粉・製パン所、右2番地が縮絨工房  右写真:ララリウムの周辺壁面? あるいは合成写真?

 その他に2つの注目すべき出土が確認された。そのひとつは「ARV」と刻まれた石臼が出土したことで、こうなるとこの製粉・パン製造所は「Aulus Rustius Verus」の援助を得ていたということになって、当時の選挙活動の実態があからさまに見てとれると発掘者たちは指摘している(しかしたとえば、彼の投資設備を使って営業していた解放自由人だったとか、Verusは石臼製造業者だった、といった別の至極穏当な解釈もありそうだが、こういうマスコミ受けしそうな穿った解釈はポンペイ関係でよく見受けられる)。普通の写真では刻印部分が不分明なので文字部分をなぞったものを掲載しておく。

 もう一つは、ララリウムの祭壇からかつての献げ物の遺物が収集できたことで、分析によると、噴火前の最後の献げ物はナツメヤシとイチジクで、オリーブの実と松ぼっくりを燃料として祭壇で燃やしていたことが判明した。ある報告者が乾燥オリーブの実を暖炉で燃やしたことがあるのだそうだが、素晴らしい香りがしたらしい。そして、燃やした供え物の上にはひとつの卵を丸ごとのせ、祭壇を一枚のタイルで上から覆って儀式を終えていたらしい。なお祭壇の周りからは以前の献げ物の残骸も出てきて、ブドウの果実、魚、哺乳類の肉などが確認されたという。こうして文献史料からつい想像され勝ちなのだが、いつも高価な動物犠牲を奉献していたわけではない庶民層の日常的宗教慣習の具体例をおそらく初めて垣間見ることもできたわけである。

上の写真左が発掘途中で祭壇上部が露出したとき、右が発掘完了時の姿を示している

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【追記】2023/12/9付で大略以下のような情報が掲載された(http://www.thehistoryblog.com/archives/68977):「ポンペイのパン屋/製粉場では、奴隷にされた人々や動物の重労働が見られる」

 若干、イタリア、否むしろポンペイ遺跡特有のマスコミに媚びを売るような内容でどうかなと思う最初の出だしの色づけであるが。「Pompeii, IX, 10,1では、奴隷や家畜の悲惨な状況が見てとれる。発掘された生産エリアには外界との連絡ができないようになっている。 唯一の出口は家のアトリウムに通じており、家畜小屋ですら道路に直接アクセスすることはできず、いくつかの窓が鉄格子で固定されている。言い換えれば、それは、所有者が移動の自由を制限する必要があると感じていたことを示している。奴隷には解放の希望も感じられなかったし、ロバ・ラバの作業場である石臼間の間隔は狭く、目隠しをされた二頭はすれ違うためには歩調を合わさないといけなかった。」

 これは実際には外から侵入してくる泥棒への対策だったり、石臼の稼働を交互にして粉を劣化させる熱を持つのを防ぐ工夫と捉えればいいことであって、奴隷の逃亡を防ぎ、ロバ・ラバにいらぬ負担をかけているわけではない、とついイチャモンをつけたくなる口上部分である。

 しかしその後の叙述は、私には新鮮であった。「動物の歩みをガイドするために、玄武岩の舗装に半円形の切り欠き semi-circular cutouts が作られていて、それは同時に、動物が滑らかな玄武岩の平石の上で滑らないようにするという利点もあった」。

 以下の2枚の写真がそれを実証しているというわけである。たしかに玄武岩の床は滑りやすいが、その上を365日ロバやラバが歩くのだから丈夫な玄武岩が敷かれているのは当然でもある。この切れ込みに私は不覚にもこれまでまったく気づかなかった。この「半円形の切り欠き」がどこでも見受けられるのかどうか、今後注目して監察してみようと思う。

ここでロバやラバはこんなふうに働かされていた。

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