研究者としてでもなく

 昨日届いた『図書』1月号をめくっていて、めずらしく心に残る記事が幾つかあった。ここでは竹内万里子のシリーズ「写真に耳を澄ます」4「語りの背後にあるもの」に触れておきたい。

 それは、私の妻がまたまた断捨離に目覚め、それまで我が家に保管してあった死亡した私から見ての義弟関係の書類を処分すると言いだしたことに関連している。私は個人的には市井の個人の記憶があっという間に消え去ることにいささかひっかかる性格なのだ。庶民の存在など消え去るのは造作もないことに、なぜか抵抗したくなる性分なのだが、だが実際問題として、庶民の家での限られた空間で保存するのはなかなか困難で、思うようにはいかないわけで。

 さて、登場するのは二人の女性である。一人が岐阜県に在住してダムで消えゆく運命の村を61歳から88歳で死ぬまで写真で撮りまくった増山たづ子さん(1917〜2006年)。村は彼女の死を追うように水没した。「ジャーナリストとしてでも研究者としてでもなく、ひとりの村民としてテープレコーダーとカメラを手に立ち上がった」。あとには10万枚を超える写真と600冊ものアルバムが残された。数冊の出版に結実している。

https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009072507_00000

 そして、偶然にも同じ岐阜県生まれで仙台に住んでいた小野和子さん(1934年〜)。35歳になって3人の子育てのかたわら、民話の採訪活動を始めたのである。50年以上にわたって「調査員としてでも研究者としてでもなく、ただひとりの主婦、いわば無防備なひとりの人間として、民話を求めて宮城県各地の村々をひたすら歩き続けた」。しば刈りの話は意味深である。

「聞く人が、受け取る人がいないと消えるのよ、残す人がいなければ全部きえてしまう,消えてったものはいっぱいある、私が拾ったものはほんのわずか」

 消えゆくものへの惜別の思い、ささやかな抵抗が、残そうという強い決意によって、思わぬ成果を産むことがある。私は何を残せるだろうか。

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