2022年は、ハドリアヌスの長城創建1900年目だった

今回必要なのは、上図の左端から6番目の要塞まで

 今さら言うまでもないが、ハドリアヌスの長城は皇帝ハドリアヌス(在位117-138年)の命令によって122年からブリテン島北部に東西を横断して建設が開始され、118kmに及ぶ長城完成まで10年以上を要し、おそらくハドリアヌス帝死亡時にも完成していなかった。とはいえ昨年は工事開始1900年目の節目だったのは確かである。この長城は、当時スコットランド在住の獰猛なピクト人に手を焼いた挙げ句のイングランド防衛のための北辺の軍事的境界線で、ラテン語では「Vallum Aelium」と呼ばれている。Vallum とは防壁のことで、それにハドリアヌス帝の名前 Publius Aelius Hadrianus から氏族名をとって(彼がローマに架けた橋「ポンス・アエリウス」[現在のサンタンジェロ橋]、エルサレムを再建しローマ植民地「アエリア・カピトリーナ」と命名したなど、多くの公共事業の名前にそれが使われた)、「アエリウスの長城」すなわち「ハドリアヌスの長城」と呼び慣わされてきたのも事実である。また、長城の西半分は当初、石作りではなく芝土と材木で構築され、2世紀後半に石作りに作り直されたことに付言しておこう。

 コロナ騒ぎでうっかり見逃していたが、昨年の2022年は、イギリスのハドリアヌス長城創建1900年目の年で、イギリス各地で盛大な記念イベントが行われていたらしい。それがブリテン島原住民の健闘を称えるものだったのか、野蛮の地へのローマ文明の到来を言祝ぐものであったのか。参加者が2022年のイベントで次のような扮装して記念写真を撮って喜んでいることから想像するに、後者のほうが勝っていたのであろう。誰しも名のある勝者側の子孫と思いたいものだが、さていかがなものか。

 そんな折、2003年にスタフォードシャー州イラム教区で金属探知機によって発見された容器「Ilam Pan」(別名「Staffordshire Moorlands pan」)が最近ふたたび話題となっているのは、それが長城建設記念の一種の引出物だったのでは、という憶測による。それは、重さ132.5g、高さ47mm、最大直径94mm、底部の外周54mmの器で、外側にカラフルなエナメル装飾が施されたスープ・ヒシャク大の青銅製の容器、正確にはpanではなく「ひしゃく」trullaなのだが、それにこの長城の西端から1、2、4、5番目の要塞の名前(MAIS [Bowness-on-Solway], COGGABATA [Drumburgh], VXELODVNVM [Stanwix], CAMMOGLANNA [Castlesteads])の列挙に続いて、興味深い以下の文章が刻印されている:「RIGORE VALI AELI DRACONIS」。これらの銘文には種々の解釈があるが、ここでは Avid J.Breeze & Christof Flügel, ‘A Military Surveyor’s Souvenir? The Ilam Pan’, Transactions of the Cumberland and Westmorland Antiquarian and Archaeological Society, 3, 2021, p.56 に依拠して、「(城壁の)測量線が、マイアからコガバタ、(そこから)ウクセロドゥヌム、(そしてそこから)カモギアナまで、(測量技師)アエリウス・ドラコによって引かれた」と一応読んでおこう。すなわち、アエリウスを長城のほうにではなく、所有者に結びつけて考えるわけで、その根拠もある。

このような模様はケルト系でよく見られる「回転三角形」triskel 模様。本来は右の器と同様の柄がついていた。左図上縁正面の白っぽい箇所がハンダで柄を接着していた跡の由。
Ilam Panの銘文部分の展開図と読み(55字)

 そのひとつは、このパンの所有者ドラコがローマ軍団内の測量技師であるなら、彼はローマ市民権保持者であり、ならば非市民からなる補助軍auxiliaに属する兵士ではないので、少なくとも個人名と家族名で表示されて然るべき,となる。それが「アエリウス・ドラコ」という姓名の持っていた真の意義であり、皇帝名「アエリウス」下での市民権獲得を示している個人名と、帝国東部出身の奴隷出自を想起させる家族名から、おそらく補助軍兵士だった彼の父はハドリアヌス帝治下のごく初期に年限を勤め上げて除隊し、めでたくローマ市民権を獲得、その息子ドラコはその市民権を活用してローマ軍団兵に採用され、数年後には測量技師に昇進を果たし、ハドリアヌスの長城に際して西端のマイア側からカンモグランナまで、全体のほぼ四分の一の測量作業に従事することになったのだろう。その功績に対し青銅製の記念品として、豪華な装飾のパンが下賜されされたのかもしれない(主格形での姓名表記は、刻印が製品完成後に刻まれたことを示している由)。

 ところでこの器の類似品が今段階で都合3つある。細部は違うが、意匠などから地元の同一工房によるとも想定されている(とりわけ,銘文にも登場するVXELODVNVM [Stanwix]の1km南のカーライル Carlisleが,金属加工の痕跡の存在から有力視されている )。その一つが、1725年にウィルトシャーWiltshireのラッジ・コピスRudge Coppiceにある別荘の井戸から発見されたもので、器の側面には城壁狭間を思わせる図案が描かれ、その上部には、Ilam Panと同様に、しかし西端から1、3、4、5、6番目の、MAIS(Bowness on Solway)、ABALLAVA(Burgh by Sands)、VXELODVM(Stanwix)、CAMBOGLANS(Castlesteads)、BANNA(Birdoswald)というハドリアヌスの長城の要塞名が今度は5箇所連記されている。但し、Ilam Panと綴りや地名が異なっているが、新出2要塞にしても西端に属していて、だがIlam Panと異なり上辺に所有者名などは彫られていない。もともとあったエナメル装飾(や、あるいは柄)は完全に失われてしまっている。換言するなら、Ilam Panは所有者の明記が重視されているが、Rudge Panのほうの所有者は要塞名以外に頓着していないわけである。ある意味後者を原形として作成・配布されたものを、前者の持ち主ないし贈呈者が独自に手をかけたとも取れる。そこに持ち主の個性の違いを見て取るのもお門違いではなかろう。

Rudge Pan(直径90mm:胴体にはローマ美術によく見られる「城壁」wall紋様)と、その手のひらサイズがわかる画像
Rudge Panの銘文部分(36字):・A・ MAIS ABALLAVA VXELODVM CAMBOGLANS BANNA

 よって、ここでの銘文は「MAIS (Bowness-on-Solway)、ABALLAVA (Burgh-by-Sands)、VXELODUM (Stanwix)、CAMBOGLANS (Castlesteads)、BANNA (Birdoswald)」「Maisからアバラッウァへ、(そこから)ウクセロドゥムへ、(そこから)カムボグランスへ、(そこから)バンナヘ」となる。おそらく、測量技師たちが従事した長城の諸城塞が刻印されているのだろう。

 さらにリンカーンシャーLincolnshireから都合3つ、いずれも金属探知機で発見されたもので、WintertonとCrowleという比較的近い場所で発見された。Wintertonの器はNorth Lincolnshire Museumに、Crowleの容器vesselは個人所有のものである。

Winterton出土の器:四角の囲いに数色のエナメル象眼、上縁に十分な空間があるが刻文はない

 Humber川を挟んで反対側のEast Yorkshire州のEastringtonで、Wintertonに匹敵する類似品が発見された。これには柄も一緒に出土していて、四角のエナメル装飾の痕跡も認められるという点でもWintertonに類似している。上縁に十分な空間があるのに銘文はない。しかし様式的には長城との強い関連性を持っているといって差し支えないだろう。

 と、ここまで書いて関連項目をググっていたら、こんな一覧をみつけてしまった。それで私の知見は一挙に広がったのはいいのだが、すぐには総括的記述を書くには準備不足になってしまったので、この件はとりあえずここまでとして後日を期したい。

 それは「3 Fort」(https://wellesley-omeka-s.libraryhost.com/s/destinations-in-mind/page/Fort_Pans)というブログに行き当たったからなのだが、番号が付されているのを辿ってみると、どうやら以下の本と関連あるらしい。Kimberly Cassibry,Destinations in Mind: Portraying Places on the Roman Empire’s Souvenirs, Oxford UP, 2021.

 その本の目次は、以下のごとし。

Chapter 1 – On the Road: From Gades to Rome on the Itinerary Cups
Chapter 2 – At the Games: Charioteers and Gladiators on the Spectacle Cups
Chapter 3 – On the Border: Hadrian’s Wall on the Fort Plans
Chapter 4 – By the Sea: Baiae and Puteoli on the Bay Bottles

ブログでの画像は、どうやら現段階では他に第1章だけ見ることできるようだ。それはスペインのカディスからローマまでの旅程を記した銀製カップを論じたものであり、ブラッチャーノ湖畔北部Vicarelloで発掘され、現在国立ローマ博物館分館のパラッツォ・マッシモ所蔵で私もかねてかなり注目してきた遺物なのである(スペインから銀製レプリカも売りに出されていたが高額のため、購入断念)。この本の表紙を飾っているプテオリ風景をカットしたガラス容器は第4章。

 それと関連する内容だが、次の本も発売予定らしい(後日見直したら昨年もう出ていたようだ、あれ、私の勘違いだったのか?)。こちらは東方にも目配りしているようだ。いずれにせよちょっとしたスーベニア・ブーム到来という感じであるが、研究者の薄い我が国では無風の内に過ぎ去るのであろうか。

Maggie Popkin, Souvenirs and the Experience of Empire in Ancient Rome, Cambridge UP, 2022.

追記:5月に入ってから到着予定だったはずのPopkinが、もう届いた、届いてしまった! 円安のせいもあるが、確かにカラー画像も多いがかなり割高感はあるものの、ローマン・ガラスがそこら中に顔を出していて、ガラス研究者には見逃せないかも。私的にはこのブログで触れたハドリアヌス長城建設の引出物らしきエナメル装飾の施された青銅製trullaが出土地表示を含めて掲載されていて、それを論述している第3章だけでも上記のCassibryともども早めに扱いたい衝動に駆られてしまう。ここでは出土地地図をとりあえず転載しておこう。

本書のp.81掲載:ちなみに地図の下部の紋様・刻印部分は、いわゆるRudge cupからとられたもの。

【追記】5/7になって先に発注していたCassibryがようやく届いた。内容的にはこっちのほうがとっつきやすい印象があるのはどういうものか。ペラペラめくっていて、p.127にAmiens Pateraの刻文も記載されていた:Mais (Bowness-on-Solway) Aballava (Burgh-by-Sands) Uxelodunum (Stanwix) Camboglas (Castlesteads) Banna (Birdoswald) Esica (Great Chesters)。 こうしてみていくと、知られる刻文はすべて西端からの地名なので、この記念物(少なくとも刻文付きに限っては)が西端から長城建設(とりわけ測量)に関わった人々がらみだったと言えるように思える。

 また、Popkin,p.87 の図47にバース出土のパンの柄に彫られた刻文の写真をみつけた。文字情報として貴重なので、ここに転写しておく(cf., p.86)。「DIISVM / CODON」= De(ae) Su(li) M[in(ervae)]/ Codon[・・・]」=「(女神」)Sulis Minervaへ、Codon[・・・]から」。

 なお、以下の本がどうやらこれらの最近の動向の始原だったようなので、これも古本で発注した。David J.Breeze, The First Souvenirs: Early Souvenirs from Hadrian’s Wall (Extra Series NO. 27), 2012 £26.00.

円安がうらめしい。えっ1€がとうとう150円? そんなあ。

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