アメリカ留学日記(上) | 西欧古代史研究の手引き – その2

以下の文章は、東京大学大学院生(当時)の澤田氏の留学記です。古代世界研究会会報『かいほう』No.57(1996/12/30発行)に掲載されたものを、著者の了解を得て、ここに転載しました。これから西欧古代史を勉強する若い諸君の発奮材料になれば幸いです。

アメリカ留学日記(上)

澤田典子

カリフォルニア大学バークレー校の博士課程に留学して3年余りが過ぎました。出発前に、『かいほう』編集員から留学決定までの経緯を書くように言われていたのですが、ほったらかしにしているままに来春には帰国することになりましたので、これは、留学までの経緯をも含めた、留学生活の大まかな中間報告です。

【準備あれこれ】

古代史専攻の大学院生としてアメリカに留学したのは私が初めてであると思いますので、参考までに、留学までの経緯を簡単に記しておきます。フランスやドイツと違って政府給費留学制度のないアメリカの場合、奨学金探しが最初の課題となりますが、私は経団連の国際文峨育交流財団(石坂財団)から2年間の奨学金を得ることができました。この奨学金は、2年間の授業料・生活費及び渡航費を支給してくれるため、授業料の高いアメリカの大学に留学するには最適でしょう。私が留学の準備を始めたのは、知人からこの奨学金の存在を知らされたD1の秋の92年9月、具体的に動き始めたのは、この奨学金の選考試験に合格した11月下旬のことです。それから出発までの7カ月間は多忙を極めました。まず、志望大学の選択と出願準備ですが、スタンフォード大学の客員研究員の経験を持つ桜井万里子先生や、イェール大学でPhDを取得した高山博氏(中世史)に相談し、最終的に、アメリカの大学の歴史学部としての評価が最も高いイェールとバークレーに的を絞ることにしました。これらの大学の博士課程に入学する際の倍率は毎年10-20倍以上であり、特に外国人の場合は、欧米の雑誌に掲載された論文か強力なコネがないと難しいと言いますが、その段階でどちらも持たなかった私は、高山氏の勧めに従って修士論文の英訳にとりかかりました(これは、その後加筆修正して欧文雑誌KODAIに掲載されましたが、出願の段階ではまだエントリーしているだけで審査に通っていなかったにもかかわらず、「この論文は、欧文雑誌KODAIに 掲載される予定である」と出願の際に宣伝(?) するのを忘れませんでした)。これと並行して、アメリカの大学院入学に必要なTOEFLとGREの試験を受け、12月末に出願。3カ月後、バークレーのE. GruenとR.Stroudの両先生から個人的に手紙をいただき入学を勧められたこと、バークレーには私の専攻する前4世紀のギリシア史の権威であるR.Sealeyがいることもあって、迷った挙げ句最終的にバークレーに入学することに決めました。そして、93年7月半ばに日本を発ち、フィラデルフィア近郊のブリンマー大学で1カ月を過ごした後(この大学は、日本では津田梅子の留学した女子高等教育の聖地として知られていますが、Classicsの分野では名の知られた大学で、コメンタリー等多く出版しており、図書館の古代史関係の文献はかなり充実していました)8月14日、秋学期開始の2日前にバークレーに到着しました。

【AHMAとは】

私が籍を置くのは、Ancient History and Meditterranean Archaeology(通称 AHMA)という長たらしい名前のコースです。これは歴史学・古典学・美術史・人類学・考古学等の諸分野にまたがる、古代地中海世界に関する総合的なプログラムで、20数年前にW.K.Pritchettによって創設されました。現在はE.Gruenが学部長をつとめ、30数名の教授陣を擁しています。同種のプログラムは、プリンストン大学やペンシルバニア大学にもありますが、AHMAがアメリカでは最大規模のものです。

現在は20数名の大学院生が在籍しており、外国人は私を含めて3名、男女比はほぼ半々。考古学やエジプト学を専攻する学生もいますが、殆どの学生がギリシア・ローマ史専攻で、大まかに言って、AHMAとは、考古学・碑文学・貨幣学・パピルス学等に精通したギリシア・ローマ史家を養成する機関と定義できるかもしれません。AHMAの博士課程では、学生はそれぞれ専攻科目1つと副専攻科目2つを選択し、それらの科目に応じて3名ないし4名の教官で構成されたAdvisory Committeeと相談しつつ、4-5年間のコースワークを行います。このコースワークの間に、所定数のゼミをとり、独・仏・希・羅の語学試験に合格し、さらに専攻・副専攻科目の筆記及び口述試験に合格せねばならず、その後初めて博士論文にとりかかることができるのです。こういったシステムは、アメリカの歴史学部の博士課程にほぼ共通したものですが、AHMAでは、歴史だけでなく関連諸分野にまたがった専攻・副専攻科目を選択せねばなりません。また、AHMAは考古学にかなりの鄒を置いているので、1シーズン以上、地中海地域での発掘もしくは考古学プログラムに参加することが義務づけられており、私は、後で触れるように、95年の夏と96年の夏、アテネのAmerican SchoolとローマのAmerican Academyのプログラムにそれぞれ参加しました。

バークレーに到着してまもなく、私は、専攻科目として古典期のギリシア史、副専攻科目としてギリシア考古学と貨幣学を選択しました。考古学と貨幣学は、日本で拾得するのが困難であるし、また、私の専門とするマケドニア史を勉強する上では必須の分野であるからです。私の主任指導R.Sealey教授、副指導教官はS.G.Miller教授(考古学)と、R.C.Knapp教授(貨幣学)に決まりました。( Sealey教授は私の長年のあこがれの人であり、思い起こせば、卒論の頃「4世紀のギリシア政治史で卒論をかきたいのですけど」と伊藤先生に相談した際、先生が最初に手渡して下さったのが、このSealey教授の論文集でした。Sealey教授は研究者としても教師としても素晴らしい方で、この3年余り教授のもとで非常に多くのことを学ぶことができたと思います)。

【授業の日々】

AHMAでは、学生は通常毎学期3科目のゼミもしくはIndependent Study(一対一の個人指導)をとらなければなりません。ゼミの場合は、どの教官も大体形式は同じで、1週ごとのテーマと宿題の史料や研究文献を網羅した文献リストを含むシラバスが最初の授業で配布され、毎週そのシラバスに沿って授業が行なわれます。1科目の宿題の量は、1週あたり一次史料の他に本・論文が通常400-500ページで、これが3科目になるとかなりの負担ですし、論文をコピーするコピー代もばかになりません。例えば、私が最初の学期にとったSealey教授のゼミ”Problems in Greek History 546-360B.C.”では、1週ごとに、”The origin of basileis and archontes””The chronology of operations in 480””The authorship of the Hellenica Oxyrhynchia”などのテーマが決められており、学生は毎週文献リストの宿題を呼んだ上で4-5ページのエッセイを書き、それを授業の最初に全員が読み上げ、それに基づいて議論するという形式で進められました。さらに学期の最後には、学生一人一人が授業扱ったこと以外のテーマについて研究発表をすることになっており、毎週の宿題をこなしながらこの研究発表の準備をするというのは、他の2科目とあわせてかなりの負担でした。そして、この研究発表を論文の形にまとめあげて提出してやっと学期の終わりです。3時間の授業は通常最初から最後まで議論で、初めの頃は、議論が白熱してくると英語がわからなくてついていけず苦労したのを覚えています。

個人指導のIndependento Studyは、教官によって形式は様々で、毎週3-4本の論文を読んでそれについて1-2時間ほど話し合うだけという楽な場合もあれば、通常のゼミ以上の課題を課されるという場合もあります。Sealey教授の場合は後者で、私が2年目の秋学期に教授に頼んで組んでもらったギリシア法制史の授業では(個人指導のテーマは教官と学生が話し合って決めることになっています。教官は通常のゼミの他に一学期に数人の学生とそれぞれ違うテーマの個人指導の授業を受け持つので、教官の負担もかなりのものです)通常のゼミより多い量の文献リストを渡され、学期末の論文提出も課されました。法制史の分野はこれまで全く不勉強であったこともあり、他の授業にも出ながらこの文献リストをこなすのは物理的に不可能に思えましたが、一対一である以上私が読んでこなければ授業が進まないので、個人指導の前日はよく徹夜になってしまいました。これらの授業も、その他に私がとった考古学や貨幣学、エジプト学等のゼミも、総じて非常に効率的に組織されており、確かに、よく言われているように「詰め込み教育」的な面はありますが、一学期が終わった段階でそのテーマについて体系的な知識を得られるという点においてはそのメリットは非常に大きいものであると思います。

これらの授業の他にも、他大学やヨーロッパから様々な研究者を招いてのレクチャーが学期を通じて頻繁に行なわれました。こうしたレクチャーに出席できるのも外国にいることのメリットですから、時間の許す限りできるだけ顔を出すようにしました。またバークレーでは、教官が自分の現在の研究の進捗状況を1時間程度で報告し、それについて同僚の教官や大学院生と議論するというFaculty Work-in-Progress Seriesというセミナーが、AHMAと古典学部の共同で定期的に行なわれています。まだ学会発表は論文の形でまとめられいない教官の研究内容を知り、それについて議論できるという、大学院生にとって非常に貴重な機会でした。

【GSIの経験】

留学生活で得られた貴重な体験は数多くありますが、そのうちの主なもののひとつは、GSI(Graduate Student Instructor) としてアメリカの学部学生を教えたことです。3年目の秋学期から、私は”Origins of Western Civilizaiton:Greece & Rome”という週2コマの歴史学部のゼミを教えることになりました。暗黒時代から共和政期ローマまで、様々な史料を学生たちに読ませながら論議していくという趣旨のゼミで、2クラス30数名の学生を受けもちました。毎週かなりの宿題を課し、隔週で小試験を行ない、毎月1回のエッセイと学期末の15枚程度のレポート、学期中2回のプレゼンテーションと学期末試験、という内容でしたが、この課題の量は、バークレーの人文系の学部の授業としては平均的なものです。

外国人の場合、GSIに応募する以前に模擬授業を行なって審査にパスしなくてはならず、私は1年目の冬にこれにパスしていたので、まあ何とかなるだろうと思っていたのですが、講義ではなくゼミの場合、学部生に議論させ、それを整理してさらに議論をリードしていくという作業は思ったより大変で、3年目とはいえ、英語の苦労は尽きませんでした。中学・高校の頃からとにかくクラスで発言するよう教育されているアメリカ人学生は、皆先を争って発言しますが、彼らの使うスラングにも初めの頃は慣れず、1コマ2時間がひどく長く感じられたものです。毎週ゼミの準備や採点のためにかなりの時間をとられ、学生の手書きのエッセイの判読に四苦八苦したり……と苦労話は尽きませんが、それまで大学院生としてゼミに出ているだけではあまり気がつかなかった、教育の場における日米間の文化の違いのようなものにじかに触れることができ、非常に興味深い体験でした。それにしても、よく言われる「アメリカの学生はよく勉強する」ということをつくづく実感させられ、自分の学部生の頃を思い出すと内心忸怩たる思いがしました……。

澤田典子