戦争とはなんでもありの原始状態である

 今般のウクライナ戦争は前代未聞、有象無象の「サイバー戦争」の様相を呈している。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69584?utm_source=editor&utm_medium=mail&utm_campaign=link&utm_content=top;https://www.fsight.jp/articles/-/48756

 藤村純佳女史の「最新ウクライナ情勢:ロシア軍の人的損失は「想定外」なのか?」(https://news.yahoo.co.jp/articles/10f93e7d7a34d9c37271a64a8038e6fc450777b0:但し有料)によって指摘されている、ロシア軍の消耗率はまだ想定内、というのは示唆的だ。米欧(それに追従の日)情報がまったく触れようとしていない視点である。

 マスコミでは「ロシア軍の民間人への残虐行為」を「戦争犯罪」と煽っているが、それは戦時においてこれまでどの国の軍隊でも(具体的に言おうか、日本軍、アメリカ軍、イギリス軍・・・、そしてソ連軍)平然と行われてきたことにすぎない。残念ながら。しかしそれにはひと言も触れようとしない。

 特に市街戦では戦闘員・非戦闘員の判別はつきがたいし(市民を装ったゲリラや民間人を楯にするのは常套手段だし、自爆テロも当然想定しないといけないし、それに無辜を装った少年兵だっているのだ;要するに動くモノはすべて的、もとえ敵)、素性の知れない民兵なんかも跳梁跋扈しているのだから、外出禁止時間に動けば問答無用で打たれるのは当たり前にしても、無関係に当然巻き添えになる民間人は出てしまう。こりゃ常識だろう、残念ながら。

 そのうえ、3月にゼレンスキー大統領が提出し可決された『ロシア軍を殺害しても無罪になる』という法案など、ロシア軍も殺されないためには市民に対して即反撃する口実になるだろう。これに対して西側はロシアの戦争犯罪と声高に主張しているが、なんとアメリカもウクライナもロシアも国際刑事裁判所に加盟していない。アメリカのやり口はいつもこれなのだ。

 我らは沖縄戦や広島・長崎、そして空襲を思い出すだけでいいはずだ。あ、知らないってか。沖縄線では自国の正規軍が住民を「惨殺」した事例が報告されている。中野学校の諜者も住民に紛れていたし。広島・長崎や全国での空襲はいわずとしれた米国の民間人無差別殺戮だった。

 それが今回、一般人(を装っている場合もありかと)のSNS動画で拡散放映されて「驚愕」をもってマスコミが追従している姿は、あまりにも見え透いている(逆に民兵側は捕虜をとらずに殺害に走るが、そっちは報道されない)。というか、ジャーナリストたちよ歴史を知らないのかと言いたくもなるが、十分に知っていて、より苛酷な対ロシアへの制裁発動を意図しての世論誘導であることは明らかだ。

 はたまた、ウクライナ側がロシア軍による「多数の市民の死亡者」としているのも一種のフェイク表現では。ウクライナ側の兵士(徴募されたにわか兵士や民兵を含めて)は当然ウクライナ市民でもあるのだから(そしてウクライナ側は設置地雷が危ないとかいって外国メディア立入を禁止し、さっさと死体を片付けている(隠蔽工作)という現実もある、らしい)。

 勝者側による日本軍のBC級戦犯の裁判を思いだしてしまう。ともすると忘れられがちだが、勝者側の残虐行為はぜんぶ許されちゃったのだ。所詮作り物の映画にすぎないが、「プライベート・ライアン」でそれが象徴的に映像化されているのを思い出せ。あ、あの手を挙げてのこのこ出てきて殺されたドイツ軍の軍服着ていた兵士たちチェコ語で喋っていたのでわかってないのかもしれない(なぜか字幕もなかったし:「オレたちドイツ兵じゃないよ、チェコ人だ、アメリカ兵を殺してないし」と喋っていたらしい)。イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」でも捕虜を取るのは面倒だと、日本兵を射殺する場面がさりげなく挿入されている。

 ウィキペディア情報で作成した以下のような地図もある(http://battles.nodegoat.net/viewer.p/23/385/scenario/1/geo/fullscreen)。前2500年以降2016年までの戦争勃発地点である。情報の偏りは自明だが、こういう視角情報をみせられると、ヨーロッパやアメリア東部の住民はつくづく好戦的だったという印象を持たされてしまう。

 

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