マスメディアのやらせ癖

 マスコミの「予定稿」なるものを知ろうとちょっと調べた。

〇鈴木健二『戦争と新聞』ちくま文庫、2015年(原著1995年)。その中に刺激的な言葉が幾つもあった。

 「さすがに恥ずかしいのか、最近の新聞は「公器」を自称しなくなった。が、今こそ原点に立ち戻って、堂々と「公器」を名乗るがよい。もし、その名に耐えられないのなら、退場するのみ。」

 横浜事件に連座、戦後出所してすぐに朝日新聞を依頼退職した酒井寅吉元整理部記者:「一夜にして戦争に協力し、一夜にして民主主義を謳歌する姿、もし時代が変われば、新聞こそ真先に立って、また転進するであろう。」

 解説を書いた佐藤卓己が妙なことを書いていて気になった。戦争中の戦地からの報道は大抵は「予定稿」で、あとで手直しする手法をとった。現場を見ていないから自ずと美文調になる。そこにあるのは「戦果」だけだった、と。よもや「予定稿」そのままに、戦果部分だけ付加された、といいたいのであろうか。であれば、文意は記者は現場主義でなければならない、というわけだろうか。

〇2021/12/17 NHKBS1で「空白の10年:被爆者の闘い」をみた。1949年にやめるまで、戦後はGHQの厳重な報道管制が敷かれていて、とくに原爆関係の検閲は厳しかったので(アメリカの民主主義も、軍政下ではその程度なのである。おそらく緩かったとされるベトナム戦争然り、その後のイ・イ戦争やアフガニスタン戦争然りだろう)、解除後も報道関係での自主規制が続いたとあった。我が国はそれほどまでに従順なポチだったのである。そんな中、被爆者団体が被爆者の研究が日本の原子力平和利用に役立つという論理で働きかけで、1957年に原爆医療法が成立した、と述べていたのにはもうビックリした。それにしたところで、それまで20万の被爆者が病苦と貧困の中で死んでいったのだが。

〇先述の佐藤卓己『増補・八月十五日の神話』ちくま学芸文庫(2014年:原著はちくま新書、2005年)を手に入れて、読みはじめているが、序論ですでに驚いている。まあ冷静に考えれば戦時中で当たり前なのだが、大新聞がやらせの演出をした写真を、予定稿で掲載していたのである。それが純真な?読者に一種の感動を与えてきたわけで。

 同じ著者が若い時(1993年)に書いた以下参照:「「ナチ宣伝」という神話」(https://www.accumu.jp/back_numbers/vol5/%E3%80%8C%E3%83%8A%E3%83%81%E5%AE%A3%E4%BC%9D%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E7%A5%9E%E8%A9%B1.html)。もちろん、皮肉である。ここでも知らないことばかりであった。「いやしくも「表現」たるものが,「ヤラセ」なしにあり得るという発想自体,メディア技術の神話に支配されているのかもしれない」とは、厳しいご指摘である。

 我々は、ナチス・ドイツが宣伝映画を制作したとか,ソ連や中共の修正写真とかは過大なまでによく知っているのだが、終戦の日の宮城前の赤子お詫びの写真なんかがそのようにして意図的に、しかも事前に撮影されていたなんてことなど思いもしなかったわけで(なんと報道関係者には2,3日前にすでにポツダム宣言受諾が知らされていて、その日の朝刊は玉音放送が終わるまで配達不可と念押しされて、前日に迫水内閣書記長官から敗戦勅書の写しさえ手渡されていた、とは・・・)。

 そんな場面、何度も再放送されている映画「日本のいちばん長い日」(1967, 2015年)では微塵も触れられていないし(原作者の半藤 一利が書いていたかどうかは読んでないので知らない)、8月14-15日の宮城事件首謀者の畑中中佐のエキセントリックな描き方もどうやら演出で(とりわけ50年前のほう)、彼を知る人たちから抗議も寄せられたらしい。これまた問題には違いない。

 以前、長崎原爆投下後の幼い弟を焼き場に背負ってきた兄の写真の件で、最終的にやらせ(振り付け)疑惑という結論になったことを思い出す。あのときは半信半疑であったが、あの世界ではよくあることだということも、ようやくこれで納得できた思いである。

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