古代の騎乗獣の実像を探りたい

 古代ローマ時代に、街中の街路をどんな輓獣・駄獣が往き来していたのかということで、いまちょっと調べている。J.クラットン=ブロック(増井久代訳)『図説動物文化史事典:人間と家畜の歴史』原書房、1989年(原著1981年)では、当時のスキタイやロシアのステップあたりにいた馬の肩高は145cmたらずだった(現代のサラブレッドは160-170m)。それとは別のイギリス、西部ヨーロッパ、ギリシアには小型のケルト・ポニー系もいて、こちらは図像から判断するに古代ギリシアでさえ大半は125cm以下だった、と。

 後4世紀初頭に中国ないし満州で開発された鐙(あぶみ)は、後7世紀ごろにヨーロッパに伝播したので、それまでアレクサンドロス大王もカエサルも騎乗はあぶみなしだった、という常識はもう一般に周知されているのだろうか。私はこれを学部生時代の竹内正三先生の演習で、だから1968年ごろのことだが、Lynn White, Medieval Technology and Social Change, Oxford UP, 1962を読んだとき知って、文字通り目からうろこの衝撃だったのだが(その本はかなり経って邦訳が出た:リン・ホワイト[内田星美訳]『中世の技術と社会変動』思索社、1985年)。

 手っ取り早く、写実性という観点から若干問題あるが美術関係でどのように描かれているか見てみるとそれなりに面白い。

 ダレイオス大王(前6-5世紀)時代の円筒印章:軽戦車を牽引するのは小型の馬(ポニー系)のように表現されている。西アジアでは軽戦車の輓馬としてはこのようなミニチュア・アラブ種の系統が、同様に古代ギリシアや西欧ではポニー系が投入されたとのこと。当然のようにサラブレッドが疾駆するハリウッド映画なんかで植え付けられた先入観からは到底受け入れられないのだが。

 騎兵の場合はどうだっただろうか。以下はスキタイの事例だが(前4世紀)、騎兵の足が地面につきそうに描かれていて、そのダイナミックさからかえってリアリティがあり写実性を感じさせる。

 後3世紀のササン朝のアルダシール1世(左)、シャープール1世(右)時代も変わらなかったようだ:いずれもナクシュ・イ・ルスタム磨崖彫刻。

 それが、ありがちな復元想像図だとこんなふうに肩高が高くかっこよく描かれちゃうわけ(左、スキタイ;右、ササン朝)。モデルの馬が現代のサラブレッドなんだろうな。

 以下は、ローマ国立博物館分館(マダマ宮)所蔵の、赤、青、白、緑組のfactioを代表する戦車競技の騎手と馬のモザイク。騎手の身長を仮に170cmとすると、馬の肩高は120cmないことになって、たぶん騎乗したら騎手は間抜けにみえたかも、だ。あ、戦車でしたね、失礼。

 それが以下のようにミニチュアによって復元されると、皇帝の身長を175cmとして換算すると、肩高130cmあたりとなるはず。

 しかし、考古学的にはどうなるのか、出土骨格で判断するのがもっとも正確なはずなのだが。詳論には未だ出会えていないが、ローマの大型軍用馬はスキタイ系で肩高が145cmを越えるものもいて、ローマ帝国各地から見つかっている由である。

 ちなみに、平成元年7月に甲府の武田氏館跡から10歳前後の雄馬の完全骨格が出土した。この肩高は120cmで、だが当時としては中型以上の大きさの、しかるべき大将クラスの騎乗用だったとされている(https://www.city.kofu.yamanashi.jp/senior/kamejii/012.html)。

 ところでカルチャでは言ったのだが、映画「ベン・ハー」の戦車競技の場面、実はフィルムを早回ししているのであの迫力が出ているのだけど(今度、じっくり見て確認してください)、実際はもっと牧歌的だったはずなのだ。しかしそれだと迫力は出ないわけで、絵にならない。

 これまで知らなかったが以下の本を知らずして馬道は論じ得ないらしい。幸いにも古書で入手できそうだ。田中秀央・吉田一次訳『クセノホーンの馬術』恒星社厚生閣、1995年。

 だがそれにしても、すでにF.ブローデルも触れていたように、地中海世界は古来なにはともあれ馬よりもロバdonkeyとラバmuleの世界だった。古代ローマ時代で馬を論じて由とするのは、あたかも古代ローマ史をカエサルやアウグストゥスですまして、庶民の日々の営みを軽んじる振る舞いと言ってもいいかもなのである。アプレイウス『メタモルフォーゼス』(変容=黄金のロバ)を読むべしなのだ。

 それを主役において論じているのは以下であるが、それは別稿を期すしかない。とりあえずは馬と同時にロバやラバを扱った、J.クラットン=ブロック(清水雄次郎訳)『図説馬と人の文化史』東洋書林、1997年(原著1992)や、ブライアン・フェイガン(東郷えりか訳)『人類と家畜の世界史』河出書房新社、2016年(原著2015)が、そして大枚はたいて発注した以下が役立つに違いない。Peter Mitchell, The Donkey in Human History : An Archaeological Perspective, Oxford UP, 2018. しかしこれは若い人がやってほしいこれからの仕事なのであるが。いずれ図書館の欠本は寄贈するつもりである。

 ところで、四谷3丁目に時々いっていた老舗のイタリア・リストランテがあるが、あるときメニューに「ロバ肉のなんたら」が二の皿にあって、驚いた。イタリアでもこんなメニューにはお目にかかったことはない。しかし当時ロバはいっぱいいたから、死んだら貧乏人に供されて食べられたに違いない。古代ローマを研究対象にしているからには、今日はロバ肉だっ、と決して、食してみたら案に相違して柔らかくて良質の牛肉と変わらなかった(和牛みたいに脂だらけではなく、むしろ抜けていた)。おそらく当時の使役獣とちがって、食肉用に育てられたものだったのだろう。とまれ、得がたい体験には違いなかった。さてさて、古代ローマ史やっている人でロバ肉を食したことある人がどれほどいるだろうか。塩野大先生いかがでしょう。これは私の密やかな自慢なのである。

 以下のモザイクは、ブドウ畑で働く人に手綱を引かれたロバが、ブドウの入ったカゴを運んでいる様子で、2002年にトルコのアンタキヤの北東50マイルに位置するハッサ地区のマズマンルで、盗掘によって初めて発見された。5〜6世紀に建てられた教会の床を飾っていたこのモザイクは、その後の発掘調査で64平方フィートの大きさで発見され、このたびようやく修復がなり、ハタイ考古学博物館で展示されることになった。

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