ウイルスとの共存:世間的常識の危うさ

 大昔定期購読していたせいか、National Geographic2021年2月号の宣伝がメールで送られてきた。

本当はもう一つの特集「新天地を目指す女性たち」も興味深い

 特集のひとつが「ウイルス:その謎だらけの世界」で、その副題そのものがその内容を表している:「多くの命を奪うウイルスがある一方、命を育み守っ てくれるウイルスも存在する」。  

 メールで送られてきた紹介文(特集の冒頭)を添付しておきたいところだが、ここでは遠慮しておく。ウイルスなしには現在の人類も存在していなかったとい う視点は、私にはひじょうに新鮮だった。 こういう逆転的視点が大好きである。

【追記】本号にはコラムとして「進化する宇宙のトイレ」と、米国で南部連合を讃えるモニュメント撤去の動きにも触れられている。こういう動きを知らなければ真のアメリカを把握できないであろう。

 今日もこんな情報が飛び込んできた。こっちはウェブ記事なのですぐに読めます。「新型コロナで日本の死者はなぜ減ったのか:感染対策の効果はコロナの被害より大きかった」(https://miu.ismedia.jp/r/c.do?1qa1_kmC_2zR_sds)。

 私見では,厚労省が人口動態統計の推計公表をなぜやめているのか、が不明だが、犠牲者が少ないのはとりあえず朗報である。実は私もこの冬、インフルの予防接種もしていないのに、めずらしく風邪を引いていない。それらしくなったらすぐにルル飲んだりしているし、外出時にマスクもしているせいだろうか。今後の検証を待ちたい。

 上記と同じウェブに以下の記事が。「京都芸術大学ヌード「わいせつ」判決のトンデモ度」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63963?utm_source=editor&utm_medium=mail&utm_campaign=link&utm_content=top)。つい読んでしまった。皆さんはどうお考えになるだろうか。私は人間には根源的に抜きがたく「性欲・食(排泄)欲・名誉欲・金銭欲」といった欲望があって、これらは人類たるもの永遠に内在し続けるという視点から、所属大学でそんな画像を多用して授業を教養課程から行っていた。その片りんはこのブログを読んでいただければわかるはずだ。上記記事を書いた伊東乾氏からすると、だいぶあぶない綱渡りをしていたことになるのであろうが、学生のだいたいの授業感想は「これこそ大学の授業」といった肯定的なものだった。実に、理解力に富んだ学生たちであ〜る。いや、お上手といえばお上手なのだ。不快なら受講をやめればいいだけのこと、中にはそんな学生もいたかもだが、沈黙して去った学生の情報はこっちにはつかめないわけで。そもそも日本とは異文化世界の古代ヨーロッパ文化史を学ぼうとするのに、自称日本的基準を適用してどうするの、だったら日本史やりなさい(実は我が国でも、一歩踏み込むとご同様だったりするのだが。私もそうだったが二十歳風情は知らないことが多い)、歴史学が現実から目を塞いでどうする、と私はいいたいのだが。

 二十五年勤続して、例外的に最終段階で「セクハラ」という表現とった女子学生がただ一人いた。彼女は、あろうことか別に勧誘したわけでもないのに、私のプレゼミ・ゼミに参加し、卒論段階でも私が勧めたわけでもないのに自分から古代ギリシア・ローマの性生活なんてあぶない題目を選び(繰り返す、私から勧めたことは断じてない:あっちからすると媚びを売ってるつもりだったのだろう)、挙げ句2年生段階から自分の発表担当となると必ず無断欠席、卒論用の英語文獻もろくに読めなかったので提出できず、2年段階からの単位が不足でもう留年しかないねという段階で、たぶんボーイフレンドの入れ知恵だろうが(一緒に面接に来たことあったので知っている)、学内セクハラ委員会に電話して私をほのめかし、だが正規の申告直前で引っ込めたらしい(それを私はだいぶ後になって知った)。そう脅せば恐れて単位出すはずだとの思惑だったのだろうが、おっとどっこいこっちはそんなこと全然知らないし(セクハラ委員会は当事者の教員には何も知らせない:これはこれで問題だと私は今でも思っている)、よろず波風立ててでも受けて立つ覚悟でやっている無謀きわまりない存在なので、女親が時の学科長に文字通り泣き込んで、女の涙に弱い学科長が、私から彼女を引き取りうやむやにして卒業させてしまった。とにかく私の部屋から出たら件のお友達と笑顔で話しているのを目撃しているので、親子揃って演技ということも私にはバレバレなのだが。私はこんな理不尽とはとことん戦うつもりだったし、私のゼミ生たちにとっても、彼女は担当のゼミ報告はきまって無断欠席するしと、悪評紛々の存在だったのだ。これを思い出すと今でも胸くそが悪くなる(おっと、伊東氏の興奮が乗り移ったようだ(^^ゞ)。学生の中にはこんな輩もいて、卒業間際に「先生の単位だけです、チャンスをください」とあちこち廻っている者がいる。賢い教師であればあるほどこの煩わしさからさっさと逃げちゃうわけ。

 森元首相の言動が問題となっているが、私の体験では、ごく普通の日本人はよろず忖度なしで突っ走ることはめったにない。いいのか悪いのは別にして、そっと消えてゆくということは言えるように思う。もちろん例外は存在する。否、突っ走るメンタリティーのほうが男女いずれにせよ例外的存在か。特に我が国においては(テレビコマーシャルのテロップ「但し本人の個人的感想です」と入れておくのが無難だろうね)。

 あと、世情に抗してこれだけは入っておきたい。男女差は明確にある。だから男女なのだ(これはグレーゾーンの人たちを排除するという意味ではなく、範疇論的な意味ででだ)。脳とホルモンの問題だから、どうしようもない。最も身近な具体例は、私と妻との衝突で日常的に体験しているので、私にとっては事実なのだ。これを疑う人は以下をご一読いただきたい。アラン・ビーズ、バーバラ・ビーズ(藤井留美訳)『話を聞かない男、地図が読めない女』主婦の友社、2002年。13年後に新装版が出たようだ。宣伝文句に「異性の友だち、恋人、結婚相手・・・、大切な人と些細なケンカが絶えない方は、これ1冊で解決!」とあるが、私にとってこれも古代、もとえ誇大宣伝であった。

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