ボクシング? またはパンクラティオン?

 まだ会員を辞めていない某学会で月報にオリンピックゆかりの短文を書かないかと言われ、かねて気になっていたボクシングに触れてみるいいチャンスと快諾した。そして4葉の写真と1250字の原稿を送ったばかりである。

 さっきテレビをつけたら「大いなる西部」(米国・1958年)をまたやっていた。そこでちょうど、東部の優男役グレゴリー・ペックと西部の牧童頭役のチャールトン・ヘストンが殴り合いをする場面があって、まあだいたいは顔面攻撃に終始していたので、昔見たときはなんで顔だけなんだ、腹とか脚とかをなぜ攻撃しないのか、と思ったものだ。今回、これって本当は古代的なボクシングの名残ではないか、と思い至った次第。

 私はもちろんボクシングについてまったくの素人である。ググっての付け焼き刃で、耳の後ろが急所だと書いてあるのを見つけて、やっぱりプロは違うなあと感心した。後述のマンガでも、近代拳闘では禁じ手になっている「腎臓打ち」があると出ていた(コミック版『暗黒伝』第5巻、29-30頁)。こういった格闘技は急所を知らずして本当は論じられないはずなのだ。

この居酒屋の床モザイク全体の俯瞰図:John R.Clarke, Roman Black-and-White Figural mosaics, NY, 1979, Fig.58.

 なお、上記月報に掲載したかったができなかった写真を載せておく。掲載できたのは、上掲のオスティア遺跡のIV.vii.4「アレクサンデルとヘリックスの居酒屋」Caupona di Alexander e Helix で、出土場所にそのまま保存されている白黒舗床モザイクで(但し、もちろん修復は入っているはず)、3世紀初期の作だが、それにはめ込まれている人名(ALEXANDER, HELIX)と同名の二人が別所でも登場しているのが下図で、なんと私はこの件をオスティアの案内板で初めて知った、という体たらく。

バイア城カンピ・フレグレイ考古学博物館所蔵

 この白黒舗床モザイクは、縦3.8m、横6.9m、三世紀前半の作で(すなわち、期せずして前出オスティアのと同時代となる)、1998年にポッツオリ(旧プテオリ)北東、メトロ駅とparco Bognarの間で、Enel S.p.A.の配管架設工事のとき出土した邸宅からの出土品(通称、villa del suburbio orientale di Puteoli)。

発掘時状況:a cura di C.Gialanella, Nova antiqua phlegraea, Napoli, 2000, p.52.

 問題の人名だが、ここでの4人の登場人物のうち3名のそれが残っている(もう一人ももとはあったのだろう:枠線が途切れている破損部分でもあるし)。現況では、左端が「ELI.X」、 一人おいて3番目が「MAGIRA」、右端が「ALEANDER」と埋め込まれている。それをオスティアを前提に、私などは左端を一応「(H)ELIX」と読み込むわけだが、別説ではその人名の右端に短いが勝利のオリーブの小枝が描かれていること、人名も末尾が「.X」と標記されているので、勝利数10回を表しているとする見解もある。ただこの別説、他の3名についてはそういった標記がないのですぐには納得しがたい。むしろ左2名の文字部分は後世の誤った修復結果のように思われる。それに、頭上での字のバランスからみて、もともと「ELI」の冒頭にもう1字あった可能性が高い(同様に右側の「MAGIRA」も末尾に1,2文字あったかもしれない)。

 また、彼らの容姿を見ると全裸で、拳を握っているだけでグローブをはめているいるようには見えないので、拳闘士というよりも、総合格闘技のパンクラティオン競技者のように見える。となると、我々にはボクサーに見えたオスティアの両名も実はパンクラティオン競技者だったのか、それとも競技者にとって両競技のどちらかに常に特化していたわけではないのか、もしれない。

 ところで、舞台の中央には背の高い円柱がある。円柱の前に長いナツメヤシの枝があり、これもしばしば競技の勝利者に添えられるモティーフである。円柱の上にクッションが3つ並んでいて、その上に賞金の包みが1つ置かれ、「CL」と書かれた碑文により、その金額が150デナリウスであることが分かる(下記【補論1】での換算では、約20万弱)。競技の図案には同様の賞金が時に見られる。数字が書かれている場合、賞金額と想定でき、当時の実際を再現することができて興味深いので、いずれまとめてみたいテーマである。

L’Italia meridionale in età tardo antica,Napoli,1990,Tav.LXVIIより

 更にそれらの上には、長方形の小さなパネルがあって「ISEO EVSEBIA」と書かれている。これは競技が開かれたのがイシスの神域におけるエウセベイア競技を指し示すものと想定されている。イシス神殿は町の西郊外、今は海中に没している海岸のどこかにあったと想定されている。「エウセベイア競技」というのは、皇帝アントニヌス・ピウス(在位:138-161年)がキケロの別荘があった場所に、138年にバイアエで死亡した前任皇帝ハドリアヌスを一旦埋葬したが、その養父を記念しプテオリの競技場stadiumにおいて、五年ごとに開かれていた大会のことである(https://www.napolidavivere.it/2019/09/07/visite-gratuite-allo-stadio-romano-di-antonino-pio-a-pozzuoli/;藤井慈子『ガラスの中の古代ローマ』春風社、2009年、211、216-7頁)。

プテオリ・グループの「景観カット付球状瓶」の書き起こし:最上段左端に「STADIV[m]」が見える。2008年の発掘によると馬蹄形U型の開口部は逆に右となっている;下図参照。
右の写真は、左図の赤印部分を右下から写した視点

 モザイクに帰る。下の方、円柱の左側に青銅製のモデルをかたどったクラテールがあり、中にはパピルスの花穂が二つ入っている。その器は賞品なのか、オリーヴ油ないしは競技者たちが自分の体に振りかける細かい砂の入れ物なのか、または対戦相手を決めるクジを入れていたものだったのか。オスティアの場合も、パピルスの花穂と大鉢が登場している。

 ところで月報原稿作成のためググっていたら、技来静也という漫画家が、1997-2009年 に『拳闘暗黒伝CESTVS』(コミック版で15巻)、2010-19年に『拳奴死闘伝CESTVS 』(同9巻+継続中)、を書いていることを知り、慌てて購入した。漫画のストーリーはともかく 、巻末に関連コメントもあってこれがなかなかでスミにおけなかった。 漫画家といえども侮れない、というかむしろあちら様のほうが、読者数的には研究論文をはるかに凌駕しているので、我ながら何やってんだかと思ってしまう。 才能がない者は黙って引き下がるしかないが。 

 このマンガがらみでひと言付け加えておこう。このマンガの作者は当然のこと、当時の民衆がなぜこういった格闘技に熱中したのか、にやすやすと言及していて、私にはとても愉快だった。というのは、どこかで書いた記憶があるが、このテーマを専門的に追究しているはずの我が国の(そして彼らが依拠している欧米の)古代ローマ史研究者は、それについてほとんど核心に触れえていない現実があるからだ。桜問題同様、どう言い繕おうとエビデンス(え〜、わざと書いてます)はどちらにあるのか、隠しようもなく明白のはず。マンガのほうが自称研究者たちより先にいっているのである。とはいえ、民衆の熱狂や関心がただそれのみにあったと言い切れるほど事実は単純でなかったことも確かであるが。

『拳闘暗黒伝』第一巻表紙と、その第三話「帝都ローマ」より

 まったくの別件だが忘れないうちにここに書いておこう。古代ローマの裁判をググっていて、以下をYouTubeで見つけた。中央大学の試みで今から7年も前にここまでやってたのだ、と脱帽。 ここで史料となっている書字板はエルコラーノ遺跡の「二百年祭の家」出土。

 知の回廊 第90回「古代ローマの裁判」法学部准教授・森光監修・2013/02/03(https://www.youtube.com/watch?v=HrSRmDZ5FYc)  

 これからはこういった画像を利用したリモート授業がどしどし導入されるだろう。でも一定水準以上のアニメ作成のためには相当な資金が必要だ(たぶん業者、というよりも卒業生を相場より格安で活用しているのでは、と勝手に想像している)。でも一度作成すれ ば長期間有効に利用できるわけで。 同じ先生の公開講座「建物を通してみる古代ローマの社会と法」2017/04/04 もあった(https://www.youtube.com/watch?v=7opdWWJ7fws)。こっちでは、その感想コメントにもあったが、著作権のせいで、授業で使われた図面や写真がぜんぜん映っていない。これが大問題で著しく迫力不足。著作権問題をクリアーするための著作権代行協会なんかを文科省が作って垣根を低くしな いと、いつまでも文字重視から脱却できないだろう。視聴者数も伸びない(事実、前者19094回;後者1582回と、桁違いになっている:発表年代の長さの違いはあるが)。

【補論1】勝利者の報酬で一番著名と思われる、チュニジアの現Sousse博物館所蔵の野獣狩りモザイク(a.250 AD、Smirat出土)の中央で、給仕がお盆上に持っている4つの袋(その各々に無限大を示す記号∞が記されている)は、1000デナリウス×4=4000デナリウスの褒賞を意味している。スポンサーとおぼしきMagerius (左図の右隅上部に上半身のみ残存)と男女神を除いて,4名の闘獣士が登場しているので、一人当たり1000デナリウスとしても、アレクサンデルたちよりも相当に高額である。ちなみに当時の価格想定はきわめて困難だが(本音をいうと、どだい無理)、試しに1デナリウスを1250円としてみると、1000デナリウスは125万円、となる(中央2コラムの情報に関する検討は、別の機会に是非ともやりたい)。

 私が知っているので最高額は、シシリアはピアッツァ・アルメリーナの南側居室入り口脇の控え室の舗床モザイク「エロスとパンのレスリング」。賞金台上には勝利の若枝が差し込まれた容器が4つ置かれ、なんと賞金の包みは台の下に数字の真ん中や上に横棒付きの「XXII d」と書かれたのが2つ置かれている(なんで台の下なのか。賞金は付けたしというわけかぁ)。一説によると、あの金額は一袋「2万2000デナリウス」を示している由なので、合計なんと4万4000デナリウスとなる(上記換算では、5500万円)。競技者らしき姿は他に見えないので、4とか2が示す数字がなにを意味しているのか、とりあえず私には解せないのだが。

 同じピアッツア・アルメリーナの、反対側のクビクルムの「音楽家と演劇者の競技」モザイクでは、上に横棒付きの「XII d」の袋が2つあり、各々1万2000デナリウス(1500万円)と想定可能である。上記ともども想定外に高額の賞金だが、これは天界でのことのせいか。

 もう一例手元にあったので。1987年チュニジアのGafsa出土で、そこの博物館所蔵のギリシア式オリンピック競技を描いたモザイク。4世紀初頭作(こら、男同士で手なんぞ繫ぐんじゃない! にしても、全体になにげにリアルな描き方で、つながれた男の緊張感抜けた腰つき、なんか匂ってくる画材だなあ(^^))。ここでは「XXV」と記した袋が4つ見える。25デナリウス×4=合計100デナリウスなのか(上記換算だと、12万5000円)、それとも各競技の勝者にそれぞれ25デナリウスなのか(3万円強)。いずれにせよこっちは安いのも、興行ではなくて神聖なるオリンピック競技のせいか。

【追記】ところで最後のモザイクについて、「ナツメヤシの若枝が賞金数を示しているでは」という質問がきたので。以下とりあえずご返答:「一番上段、左が徒競走、中央不明a、右不明b ;2段目、左が不明c、中央がシュロを持った優勝者たちと主催者たち?(目線は 右方向)、右も不明d ; 3段目は、円盤投げと、ボクシング、レスリング  ;4段目が、優勝パレード、パンクラティオン、主催者たちと賞金台、松明競走 。以上、想定10種目、不明のa-dが何かを、残存画像から定めないといけないが、 枝の数に連動させてそれを確定するのはちょっとできないように思う。た だ賞金袋は4つの背後にまだあると見るべきかもしれない。その時枝の数がヒントになるだろう。賞金台の下中央に何が描かれているのかも気になる。」

【補論2】今頃になって、アレクサンデルとヘリックス関係でようやく核心的な論文を見つけることができた。C.P.Jones, The pancratioasts Helix and Aledander on an Ostian Mosaic, JRA, 11,1998, 293-298.  いずれおいおい紹介したい(それに依拠して某学会の月報をいまさら修正するとしたら、アレクサンデルとヘリックスはパンクラティオン競技者とすべき、となる:根拠はよくよく見ると拳がグローブをしているように見えないから)。

 なおオスティアには他に競技者関係の数点のモザイクが遺存している。それにも集中的に触れたいと思っているが、さて。そしてポッツオリのモザイクの研究論文を探している。ご存知寄りからの情報を願っている。・・・と、これらは私にとって新開拓分野で、つい足を踏み入れて切りがないのが困りものだ。

 で、思い出したのだ。オスティアのモザイク文字で、死ぬ前にぜったい紹介しておきたいのがあったことを。それが以下だが、詳細と私の妄想はいずれ必ず(「あれ、まだ命があるつもり」と、陰の声)。

【補論2への追記】それらしき論文を2,3点見つけた。ひとつは、学会発表論文集所収の以下で、だが国内図書館に所蔵はないので海外発注するとしたらかなり高額となる。たかが25ページの論文に2万円。昔だったら即座に注文していたが、研究費がない身ではそうはいかない。個人的にお持ちの方からの連絡があると有難い。C.Gialanella, Il mosaico con lottatori da una villa del suburbio orientle di Puteoli, in:a cura di F.Guidobaldi-A.Paribeni, Atti dell’VIII Colloquio AISCOM, Firenze, 21-23 febbraio 2001, Ravenna, 2001, pp.599-624.

 連絡先は、以下です。よろしく:k-toyota@ca2.so-net.ne.jp

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