女王・昭子から見た秘書早坂、他:遅報(34)

 人は、どこまで本当のことを喋るのか。

 佐藤昭子『決定版 私の田中角栄日記』新潮文庫、2001年(初版1994年)が届いた。さっそく読み出したが、大変読みやすい(ゴーストライターいたんだろうな)。そして早くも序章で「自らいわく、側近中の側近、三顧の礼をもって迎えられたという元秘書氏が、講談調でオヤジを語れば、世の中の人はそれがすべて真実だと思ってしまう」(p.19)というくだりに出会う。ここでほのめかされている早坂への皮肉っぽい表現の内実は、おいおい多少踏み込んで述べられていて、情報の是正におおいに役立つ(p.67、75、93)。1952年以来33年間秘書だった彼女からすると、さしもの早坂先生も、出戻りの新参者にすぎず形無しだ。

1928-2010年:81歳

 その彼女がめずらしく感情的に激しく反応しているのは『文藝春秋』1974/11月号掲載の児玉隆也「淋しき越山会の女王」であって、立花隆のほうではなかった。それは彼女の知られたくないプライベート部分に触れていたからである。彼女は本書で具体的にそれに言及していない(p.18-9)が、娘あつ子によると、どうやら新橋の場末のキャバレーで働いていた時代のことだったらしい(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/40349)。

 昭子(改名前は「昭」)に言わせると、角栄の取り巻き(政治家はもとより、小佐野、神楽坂芸者たちを含む)はやたら角栄との関係を針小棒大に吹聴して、それがマスコミにより角栄の実像から乖離した「闇将軍」というレッテルを貼られることになり、世間の誤解を招くことになった、ということらしい。批判された金権政治もそんな金はみたことないと言い切っている。それは「金庫番」と名指しされていた彼女にとって真実だったのだろうか、それとも・・・。ただ論より証拠、彼女は逮捕も裁判沙汰にもなっていないのも確かである。早坂情報的な角栄の政治資金用金庫は他所にあったのかもしれない。彼女はそこを上手に切り分けて巧みに角栄を守ろうとしていて、私などもう説得されそうになる(p.104-8)。人事については自分の関与を明け透けに述べているのと比べると(これ自体、たいへんなことだが)、角栄が一枚上手だったのか(隠すというより、身内が知らないほうがいいこともあるし)、彼女が知らない顔をしているのかのどちらかであろう。それにしても、彼女もご多分に漏れず抜かりなく蓄財に励んでいたようで、娘のあつ子によると、一時は巨額の資産を所有していたが、資産を預けていた人物が1995(平成7)年に逮捕されてから大半を失い、そのうえ若いツバメを侍らせてもいたようで、影響力も低下した由(伊藤あつ子『昭:田中角栄と生きた女』講談社、2012年)。

 ロッキード事件についても、角栄とはまったく関係ない、あれは石油関係のアメリカの国内問題での飛び火、および多方面でエネルギー資源確保外交を展開していた田中叩きのキッシンジャーたちユダヤ系の策謀だった、との田原総一朗説を紹介していて(p.249-251:「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」『中央公論』1976年7月号;実際は通産官僚あがりの小長啓一秘書官の発言)、私のような歴史畑の人間好みの仮説でなかなか読ませてくれる内容だ(もちろん、日本側の思い込みだとの反論もあって、たぶんそうだろう。角栄以下そう思い込みたかっただけのことだろう:https://www.excite.co.jp/news/article/E1469582127490/?p=3:徳本栄一郎『角栄失脚:歪められた真実』光文社、2004年)。

 そして「裁判というものが、こんなに変なものだとは知らなかった」ともっともな感想を漏らしている。時効期日に追われていた東京地検特捜部による強引な無理筋の事件では、被疑者を取調べした検察官が証言の行間を作文して「事実」を創作・捏造してゆくのだから、そういうことになる。角栄は身に覚えのない5億円授受を認める事ができなかったので一審、控訴審で有罪になってしまったが、法廷闘争技術的にはそれを認め、総理大臣の職務権限で争っていたら勝てたはずだという法曹関係者もいたほどだ、としていて興味深い(p.181)。裁判については弁護士・木村喜助の本が届いたので読んでみたが、なんだか本質からはずれた法的解釈に終始していて、新しいことはない感じだが、民間機に総理大臣の職務権限は成り立ちがたいので、そこで頑張れば無罪もありえた、という結論は納得できる。そのように方針転換しようとしたら角栄が倒れたので、従来通りでやるしかなった、と。それがP3Cだと軍事防衛費で職務権限に抵触してくるので、そっちは弁護側もまったく触れようとしないわけだ。いずれにせよ、法廷論義なんて真実の解明からほど遠いわけだ。

 被害者であったから、彼女のマスメディア批判は厳しいものとなる。そしてまた角栄の凋落でいとも簡単に人心が離反していく身勝手さ、薄情さ。「今さら驚くことはない」(p.230)と日記に書いて、裏切られた落胆を懸命に奮起させている様子は痛々しい。まさしく人情紙風船。子飼いの代議士が分裂して相争う後日談への眼差しは、太閤亡き後の正室寧々(高台院)もかくあらん(あ、昭子さんは側室か)、という感慨が襲う。

 あれこれ探っていると、つぎつぎ注目すべき本がでてくる。産経新聞特集部編『検察の疲労』角川文庫、2002年、も発注した。こんなの図書館にないからつい購入してしまうが、うっかりすると文庫本などアマゾンだと捨て値の1円や85円だったりする。それがつい検索で「日本の古本屋」を使うと800円だったりして高い買い物になる。しかし、同時代のマスコミで煽られた時流に抵抗して野次馬が真実を見ようとすることは大変難しい(今のコロナ騒ぎだって、そうだ)。それより当事者が死に絶えたあと、角栄の実像はどうなってゆくのやら。そんな自分に2000年前を論ずる資格というか能力があるのだろうか。疑問だな〜と思わざるを得ない。

【追記】中尾庸蔵『角さん、ほめられ過ぎですよ!:異常人気の「角栄本」の正しい読み方』扶桑社、2016年を、間違ってKindle版で購入(おかげでまた目まいに襲われた。目も痛い)。内容が正鵠を射ている感じで、なかなかいい。石原の本を買わなくていいこともわかったし。テレビでの、丸紅からの5億円授受を認めた榎本発言を検察も裁判所も弁護団もなかったことにした、というくだりには恐れ入った。

 ところで関係本を収集していて、「女たちがみた角栄」というレポートができそうだ、ということに気付いた。なんと愛人二人が書いているし、娘二人も書いているし。こういう人も珍しいかもしれない。

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