映画:バイキング:飛耳長目(11)

 チャンネル回したらやっていたので、いつも途中からで3度目くらいだが、見ている。「VIKING バイキング:誇り高き戦士たち」(2016,ロシア映画) 。

 題名とはうらはらに、キエフ公国興隆のきっかけをなしたウラジーミル1世(10-11世紀)の前半生の話で、しかしまあ彼が親族争いからスカンジナビアに逃れて、そこの傭兵(ノルマン人だったらしい)と共に帰国して兄を破ってキエフ大公になったという経緯があるのでバイキングなんだろう、か。

 これを見ていて興味深く学んだのは、権力と結びついた支配者の守護神の件である。まあこのテーマそのものは陳腐な話にすぎないかもしれないが、映画では、野蛮な父の神を埋めて新たな守護神を建てた兄、その彼を殺して父の神を復活させたものの、正嫡でない負い目の中で生き残るために、南から進出してきたビザンツ帝国と同盟する中でキリスト教を受け入れるという、そのプロセスが、きれい事ではなく,私にはなかなか説得的に表現されているように思えたことである。同様の視点で、フランク族のクローヴィス改宗など見直すべきなのは常道だろう。

 こうしてウラジミールはキリスト教会で後世、聖人と讃えられることになる。権力者で生き残るためにはより大きな権力への忠誠の証しとしてその守護神を受け入れるという段取が不可欠であることが、後進の未開のロシア側からの視点から描かれているからの見どころである(この点、勝利者キリスト教側から描かれるとどうしても視点が大甘になる)。

 また、当時の軍隊の実態が、実質的に報酬目当ての傭兵集団であって、だから勝利の見込みが薄れると当然のように去っていくわけで、それをつなぎ止めているのが文字通り金だったあたりも説得的に描かれていて、まあこのあたりが、古代のそれに、現代の軍隊制度を刷り込み勝ちな私には重い教訓としなければならないところであろう。

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