興味津々の「陣営図」貨幣

 今回、また悪いクセが出て、あまり状態がよくない、それゆえ安かったローマ貨幣follisを競売で入手してしまった。郵送料・手数料込みで170ドル台。

 それは、コンスタンティヌス1世時代の319年の、テッサロニカ造幣所打刻のいわゆる「陣営図」camp plan型貨幣で、ただ表面の皇帝像はコンスタンティヌスではなくて、銘文「CONSTANTINVS IVN NOB C」から息子のコンスタンティヌス2世。父帝だったらこの箇所が「CONSTANTINVS AVG」となる。

 裏面左右の刻印は「軍隊の武徳 VIRT EXERC」、下には「TSB」とあって、テッサロニカ造幣所第二工房(Β:ベータ)を示す。問題は中央部分で、左右からの斜めにずれた線四本(というより、くの字型と逆くの字型の組み合わせというべきか)が交わる中央交点の上部に、右手を前方に伸ばし、左手にグローブを保持している神像が立っていて、その姿勢から、頭部の刻みがここでは不明瞭ながら、別例では放射冠をいただいているので、Sol神とされている。そのつもりで眺めると肩で留める騎馬用外套chlamysの輪郭が左肩側にかすかに見えている。こういった意匠は父帝でも同様である。より明確な刻印の類例を示しておこう。ちなみにこれも第二工房製作だが、一見して同一工房なのに同一金型でないことは明白。価格は私が今回入手したものの3倍、500ドル以上はしたと思われる。

 コンスタンティヌス二世は、316年8月7日生まれとされているので、この貨幣打刻時は3歳くらいのはずだが、幼児というよりは青年の表情で表現されている。彼は生まれて半年の317年3月1日に、異母兄クリスプス(当時17歳くらい)と、東部正帝リキニウスの息子リキニウス(当時2歳未満)と共に、セルディカ(現在のブルガリアの首都ソフィア)で副帝とされていた。いうまでもなくコンスタンティヌス一世と東部正帝リキニウスの紐帯強化のためだった。ちなみにリキニウスは313年のミラノでの会談で、コンスタンティヌス一世の異母妹コンスタンティアと結婚していた。息子リキニウスは彼らの間の子である。

 この類いの貨幣は、もっぱら319年にテッサロニカ造幣所で 打刻された。工房はAからΕまで5工房が確認されている。316年以降、この地域はコンスタンティヌス1世の領域だった。しかしこれは果たして「陣営図」なのか、そして太陽神と陣営図の組み合わせが、何ゆえこの時、ギリシア北部のこの場所で打刻されたのか、私には興味津々なのである。打刻皇帝名は彼ら父子以外に、正帝リキニウス、副帝クリスプス、副帝リキニウスが確認されているので、317年のセルディカで両正帝がそれぞれの息子たちを副帝に任命したことと関連があるのは確かだろうが。どなたかこの謎を解いてくれないものかと思うようになって久しい。

【追記】実は後から気付いたのだが、もうひとつ、コンスタンティヌス1世のものを持っていた。これも状態があまり好くないので、稀少品にしては購入経費を含めて110ドルとやたら安かった。ちなみに工房は第4(Δ:デルタ)。表面の胸像の胸をみると胴鎧装着のようだ。

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